宮田論文への疑問 須田晴夫




[0] 宮田論文への疑問 須田晴夫

投稿者: 管理人 投稿日:2017年 3月21日(火)09時17分36秒 

2015 年 9 月 5 日、創価大学で開催された日本宗教学会第 74 回学術大会で、同大学教授の宮田幸一氏が「学問的研究と教団の教義 ー創価学会の場合」として口頭発表を行い、それを加筆訂正した論文が宮田氏自身のホームページで公表された。

氏が個人の立場でどのような内容を発表しようと、「表現の自由」「内心の自由」に属することで何の問題もないが、氏は創価学会の教義形成に影 響力を持つ何らかの立場にあると聞いている。

仮に氏がそのような立場にあるということになると、氏の見解は個人的意見にとどまらず、幾分か教団 全体に関わる意味を帯びてくる。そこで筆者は、氏の論文に触れて若干の疑問を感じたので、氏の他の論文を含めて検討し、取り上げられた問題 について議論を深めるための参考資料として本稿を作成することとした。 須田晴夫





[2] 宮田論文への疑問 後

投稿者: 管理人 投稿日:2017年 3月21日(火)09時28分6秒   返信   編集済

-続き-
仏よりも既に偉大な姿を持っているという。また、地涌の菩薩は釈迦仏から教化されてきた弟子とされているのに、地涌の菩薩の方が師匠を超えた尊貴な相を具えているとされる。これは、通常の観念では理解できない「謎」という以外にない。この謎については、古来、ほとんど考察されておらず、謎のままで放置されてきた。日蓮宗の学者の中にはこの謎が解明できないので、後世に付加された部分であるとして、自分の理解が及ばない箇所を切り捨てようとする者すらある。しかし、「仏を超えた菩薩」「師匠以上の境涯の弟子」という、この不可解な謎にこそ地涌の菩薩の本質を示唆する鍵がある。 この点について、拙著『新法華経論』では次のように論じた。 「仏よりも尊高な菩薩、師よりも偉大な弟子――。これは何を意味しているのか。それはすなわち、地涌の菩薩は『菩薩』として登場しているが、その実体は菩薩の範疇を超えた存在、すなわち仏であることを暗示しているといえよう。

地涌の菩薩が娑婆世界の下方の虚空に住していたとされることも、彼らが生命の根底である第九識に立脚していること、すなわち仏の境涯にあることを象徴している。また、地涌の菩薩が仏の特徴である三十二相を具えるとされていることも、その本質が仏であることを示すものと解せられる。

すなわち、地涌の菩薩が菩薩として法華経の会座に登場するのはあくまでも外に現れた姿(外用)に過ぎず、その本質(内証)はすでに妙法を所持している仏である。地涌の菩薩が仏として登場しないのは、経典の約束事として一つの世界の教主である仏はあくまでも一仏であり(多宝如来のように他仏が証明役として登場することはあるにしても)、教主以外の仏が並列しては混乱をきたすことになるからであろう。

天台大師が『法華文句』で地涌の菩薩を指して『皆是れ古仏なり』(国訳一切経四〇六頁)と述べている通り、地涌の菩薩は単なる菩薩ではなく、その本質は仏であると解さなければならない。

涌出品は、次の寿量品で釈迦仏の本地が久遠の昔に成道した仏であることを示すために地涌の菩薩が釈迦仏によって教化された弟子であるという構成をとらざるを得ず(釈迦仏が無数の大菩薩を教化してきたとすることによって、釈迦仏が今世で初めて成道した仏ではないことを示すことができる)、地涌の菩薩の本地が仏であることを明からさまには示せないので、それを裏暗々(あんあんり)に示すために仏よりも尊高な菩薩という不可解な表現をとったと解せられる。そこに、暗喩(あんゆ)を駆使した法華経の巧みな手法を見ることができる。

また、仏を菩薩として登場させたところに法華経の深い意図がある。つまり地涌の菩薩は、外には菩薩の姿をとる仏、すなわち『菩薩仏』である。それまで仏といえば、法華経の教主である釈迦仏を含めて、色相荘厳の姿をとる、仏果を成就した『完成者』『到達者』として描かれてきた。しかし、菩薩仏は完成者ではなく、未完成の姿をとる。それでいて、妙法とともに生きる仏の境地に住している。それはいわば未完成を含んだ完成、完成を含んだ未完成といえよう。菩薩仏は、これまでにない新しい類型の仏であり、さらに言えば、
『仏』の概念の変革をもたらすものである。それまでの完成者、到達者としての仏は、伝統的な表現を用いれば『本果』の仏であった。それに対して地涌の菩薩として登場した菩薩仏は『本因』の仏である」(同書 256 ㌻)

天台大師の「皆是れ古仏なり」との釈は、さすがに地涌の菩薩の本質を正しく洞察したものであった。すなわち、地涌の菩薩、なかんずくその上首である上行菩薩は釈迦仏から末法弘通の権限を与えられた「使い」の形で経典には登場しているが、それは上行の真実の姿ではなく、本当は本来妙法を所持していた久遠の仏(古仏)と解さなければならない。神力品における上行菩薩への付嘱とは、実は末法の到来とともに仏から仏へと教主が交代することを示す儀式と理解すべきなのである。この点について、池田大作名誉会長は『法華経の智慧』で次のように述べている。

「神力品の『付嘱』の儀式は、端的に言うならば、『本果妙の教主』から『本因妙の教主』へのバトンタッチです。それは、燦然たる三十二相の『仏果』という理想像を中心とした仏法から、凡夫の『仏因』を中心とした仏法への大転換を意味する。凡夫の素朴な現実から離れない仏法への転換です」(同書第 6 巻 190 ㌻)
末法は釈迦仏法の救済力が失われた時代であるから、釈迦仏は正像の教主ではあっても末法の教主となることはできない。だからこそ神力品は上行が末法の教主として出

現することを予言し、教主交代の儀式を行ったのである。真蹟が各地に現存する「下山御消息」に日蓮自身を指して「教主釈尊より大事なる行者」(御書 363 ㌻)とあるのは日蓮に末法の教主との自覚が確立していたことを示している(釈迦仏の単なる「使者」や「弟子」が「教主釈尊より大事」になる道理はない)。
上行の本地が仏であることを了解したならば、日蓮=上行の認識に立つ以上、日蓮が取りも直さず末法の仏であることが了解できることになる。地涌の菩薩を巡る法華経涌出品および神力品の説相と天台大師の洞察は、上行の再誕として出現した日蓮が実は末法の教主であるという日蓮本仏論を裏づけるものとなっているといえよう。

⑨真偽未決の御書について

これまで、真蹟および直弟子写本が現存(あるいは曾存)する御書をもとにして日蓮自身に日蓮本仏論が存在したことを述べてきたが、それは宮田氏が真蹟や直弟子写本のない御書を偽書として扱い、日蓮の教義を考察する資料からは排除する立場に立っているからである(真蹟・古写本がない御書まで考察の範囲を広げれば、日蓮自身に日蓮本仏論があったことについて更に多くの裏づけを得ることができる)。しかし、日蓮の思想を把握する資料として真蹟および直弟子写本が現存(あるいは曾存)する御書だけに限定する在り方は必ずしも適切とは思われない。この問題についても拙著

『新版 日蓮の思想と生涯』で少し述べたので、次のように該当箇所を引いておくこととする。

「日蓮の思想や事跡を考察する根拠として、御書の中でも真筆が現存するもの、真筆がかつて存在していたことについて確証があるもの、直弟子または孫弟子の写本があるもの以外は基本的に偽書と見なして全面的に排除する傾向が見られる。しかし、このような在り方は妥当ではないと思われる。誰が見ても明らかな偽書と判断されるものを除くのは当然だが、そうでないものは真偽未定となる。真偽未定のものは偽書と断定できないので、真書である可能性があることを否定できない。

かつては真筆や古写本が存在していても、戦乱や火災等の歴史的偶然によってそれらが失われた例も少なくないであろう。真筆や古写本が現存しているのは、それらが失われるような災厄にたまたま遭わなかったという僥倖(ぎょうこう)による。真筆が現存しない御書を全面的に排除するということは、不幸にして真筆滅失の災厄に遭った御書をも全て切り捨てることに他ならない。 真筆あるいは古写本が現存(または曾存)するものだけを用いるという在り方は、日蓮の思想を考えるための根拠をサイコロの目のような偶然に委ねることになる。 真偽未定の御書で、かつては偽書の疑いが強いとされていたものでも、後に真筆や古写本が発見された例もある。『諸人御返事』(一二八四頁)はその例である。同抄は録外に属するので、偽書の疑いが強く掛けられていたが、真筆三紙が完全な形で大正時代に発見された(千葉・本土寺蔵)。同抄に限らず、『左近入道内記(ないきさこんにゅうどう)殿御返事』など、近年になって真筆や古写本が発見される例は少なくない。このような例もあるので、現時点で真筆が存在しない御書をそれだけの理由で偽書と言い切ることはできない。

また、かつて偽書説が強く言われていた御書でも、従来とは全く異なる角度から検討した結果、逆に真書の可能性が高いとの判断が出た例もある。その典型が『三大秘法抄』である。同抄は真筆がないために、古来、真偽の議論が盛んになされてきたが、近年、計量文献学の研究をもとに同抄の用語などをコンピュータで解析した結果、真書の可能性が高いとの結論が出た(伊藤瑞叡『いまなぜ三大秘法抄か』)。
計量文献学だけでなく、将来にはそれまでの発想では考えられない新しい観点から検証されていく可能性も大いにありうるだろう。

このように、真偽の判断も決して確定したものではなく流動的であり、現在、偽書の疑いが濃いとされているものでも一転して真書と見なされることもありうる事態である。このように考えてくると、真偽未定の御書を一律に排除する在り方は多くの真書を切り捨てる恐れが大きく、厳密なように見えて真偽に余りにもこだわり過ぎており、行き過ぎと言うべきであろう。 真偽未定の御書を全面的に排除する在り方について勝(すぐ)呂(ろ)信静(しんじょう)博士は『日蓮聖人の宗教思想を実態よりも狭小に限定することになりかねないと思う。それは偏った日蓮像を作りあげることにもなるであろう』(「御遺文の真偽問題」)と述べている。博士の意見に同意したい」(同書 177 ㌻)



⑩日興門流による日蓮本仏論の継承

宮田氏は、日蓮本仏論は日蓮自身になかったとするだけでなく、日興にもなく、大石寺第六世日時(不明~1406 年)で明らかになり、第九世日有(1402 年~1482 年)において明確に主張されるようになったとする。すなわち氏は「日有の教学思想の諸問題(1)」で次のように言う。
「筆者は大石寺教学の特徴である日蓮本仏論は開山日興(1246-1333)、重須学頭三位日順(1294-1356-?)、四世日道(1283-1341)にはまだ見られないと考えており、その思想は六世日時(?-1365-1406)の『本因妙抄』写本で明らかになり、九世日有においてさらにより明確に主張されたと考えている」
しかし、この見解には賛成しがたい。先に見たように、日蓮本仏論は日蓮自身において既に明確に存在しており、その教義は日興を含めて日興門流に一貫して維持されてきたものと捉えるべきであろう。
まず、日興において日蓮本仏論があったかどうかを見てみよう。
広く知られていることだが、日興の多くの消息によれば、日興は日蓮を「聖人」「仏聖人」「法華聖人」「法主聖人」「仏」などと呼んで、門下から寄せられた供養の品々を

常に日蓮の御影(みえい)に供えている(日興の「西坊主御返事」に「御影の御見参に申上まいらせて候」
〈『歴代法主全書』第 1 巻 105 ㌻〉とあること、「日順雑集」に「聖人御存生の間は御堂無し、御滅後に聖人の御堂に日興上人の御計いとして造り給ふ。御影を造らせ給ふ事も日興上人の御建立なり」〈『富士宗学要集』第 2 巻 95 ㌻〉とあることから、日興が日蓮の御影を造っていたことは確実と見られる。ただし、「富士一跡門徒存知の事」に「日興が云く、御影を図する所詮は後代に知らしめん為なり是に付け非に付け・有りの侭(まま)に図し奉る可きなり」(御書 1603 ㌻)とある通り、日蓮の御影像は日蓮の容貌を後世に伝えるために造立されたものであり、本尊ではない。日興における本尊は文字曼荼羅以外にない)。
日蓮を「仏聖人」「法主聖人」等と呼び、また供養を常に日蓮の御影に供えた日興の振る舞いに見る限り、日興が日蓮を仏として尊崇していたことがうかがえる。また重大なことは、日興の文書において供養の品を釈迦仏に供えたという記述が一切存在しないということである。この事実は、日興が自身の信仰において日蓮本仏義に立ち、釈迦本仏義を退けていたことを示すものとして理解できよう。

さらに注目すべきは日興による文字曼荼羅書写の在り方である。日興は文字曼荼羅をしたためることを「書写」と称し、日蓮が文字曼荼羅を図顕したことと自らの行為

を同列に置かず、日蓮図顕の文字曼荼羅の様式を書写するという立場を明確にした。具体的には、文字曼荼羅の中央に南無妙法蓮華経の首題の下に「日蓮 在御判」としたため、自らの名前は「書写之」の言葉とともに記して(「書写之 日興花押」とした)、自分が当該曼荼羅を書写した当人であるとの責任を明らかにしている。日興が終生にわたって貫いたこの曼荼羅書写の書式は日興門流において今日まで堅持されている。
それに対して五老僧の流れを汲む他門流では中央の首題の下には曼荼羅をしたためた当人の名前を記す形が一般であった。例えば、日朗がしたためた曼荼羅には中央に「南無妙法蓮華経 日朗 花押」となっている。これは、日蓮が曼荼羅を図顕した際に南無妙法蓮華経の下に「日蓮 花押」としたためたのに倣(なら)って、南無妙法蓮華経の下には曼荼羅を書いた当人の署名・花押を記すものと受け止めたからであろう(他門流の曼荼羅では日蓮の名前を伝教大師の外側に記すなど、諸尊の一つとして記載する例も少なくない)。
このように、文字曼荼羅の書き方において日興門流と他門流では大きな相違がある。それは、日蓮の位置づけが日興と日昭・日朗ら五老僧の間では大きく異なっていたことを意味している。日昭・日朗らは日蓮を南無妙法蓮華経と一体の本仏と捉えられず、自身と同列の存在と位置づけていたのに対し、日興は自身を日蓮の弟子と位置づけ、日蓮を南無妙法蓮華経と一体不二の末法の本仏と捉えていたと解することがで

きよう。日興が堅持した文字曼荼羅書写の形式は、日興が日蓮本仏義に立っていたことを強く類推せしめる。
日興の著作や消息に日蓮本仏論を明示しているものはない。しかし宮田氏のように、文献上にないからその思想が存在しないと判断することは、人間の思想が全て文献に表れているという前提に立つものであり、その前提そのものが文献に偏り過ぎた誤りであろう。むしろ、人間は自己の思想を必ず全て言語に表すものではない。明確な思想を持っていても、それを言語に表す必要もないとして、言語表現を抑制する事情や心理がありうることは当然のことである。日興の場合、日蓮本仏義は自身にとっても周囲の高弟にとっても当然の前提であり、またその教義が他門流が受け止められない日蓮仏法の奥義であるという
事情などを鑑みて、あえて著述に明示することはなかったと考えることができよう。

日興は日蓮本仏義を著作の中で示すことはなかったが、日興の高弟の中にはそれを行った者もあった。その代表は日興が開設した重須談所の第 2 代学頭であった三位日順(1294 年~不明)である。
日順は日興存命中の 1318 年に記した「表白」において「我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり・仍(よ)つて日本と名く、富士山をば或は大日山とも号し・又(また)蓮華山とも呼ぶ、此れ偏へに大日本国の中央の大日山に日蓮聖人

大本門寺建立すべき故に先き立つて大日山と号するか、将(は)た又妙法蓮華経を此処に初めて一閻浮提に流布す可き故に・蓮華山と名づくるか」(『富士宗学要集』第 2 巻 11 ㌻)として、日蓮を「本仏」と明言している。
しかし、宮田氏はこの「表白」の文の「本仏」は日蓮を指すものではないとし、「『観心本尊抄』などで「久遠実成釈尊」の「仏像」が正法、像法時代には出現していなかったのに対して、末法日本において日蓮が曼荼羅の中で図顕したということを受けた表現と解釈できると思っている」(日興の教学思想の諸問題(2)――思想編)と述べている。宮田氏のこの解釈は、そうとう無理な、いかにも苦しい解釈と言わざるを得ない。
「表白」のこの文は、「観心本尊抄」を念頭に置いたものではない。むしろ日順自身が執筆し、日興の印可を得たとされる「五人所破抄」の「日本と云うは惣名なり亦(また)本朝を扶桑国と云う富士は郡の号即ち大日蓮華山と称す、爰(ここ)に知んぬ先師自然の名号と妙法蓮華の経題と山州共に相応す弘通此の地に在り、遠く異朝の天台山を訪えば台星の所居なり大師彼の深洞を卜(ぼく)して迹門を建立す、近く我が国の大日山を尋ぬれば日天の能住なり聖人此の高峰を撰んで本門を弘めんと欲す」(御書 1613 ㌻)に対応したものと解せられる。「五人所破抄」の「先師」「聖人」との対応を考えるならば、「表白」が言う「本仏」はまさに日蓮を指すと解するのが素直な理解であろう。「本仏の所住」との表現は、具体的な人間の存在を想起させるものがある。

初めて一閻浮提に流布す可き故に・蓮華山と名づくるか」(『富士宗学要集』第 2 巻 11 ㌻)として、日蓮を「本仏」と明言している。
しかし、宮田氏はこの「表白」の文の「本仏」は日蓮を指すものではないとし、「『観心本尊抄』などで「久遠実成釈尊」の「仏像」が正法、像法時代には出現していなかったのに対して、末法日本において日蓮が曼荼羅の中で図顕したということを受けた表現と解釈できると思っている」(日興の教学思想の諸問題(2)――思想編)と述べている。宮田氏のこの解釈は、そうとう無理な、いかにも苦しい解釈と言わざるを得ない。
「表白」のこの文は、「観心本尊抄」を念頭に置いたものではない。むしろ日順自身が執筆し、日興の印可を得たとされる「五人所破抄」の「日本と云うは惣名なり亦(また)本朝を扶桑国と云う富士は郡の号即ち大日蓮華山と称す、爰(ここ)に知んぬ先師自然の名号と妙法蓮華の経題と山州共に相応す弘通此の地に在り、遠く異朝の天台山を訪えば台星の所居なり大師彼の深洞を卜(ぼく)して迹門を建立す、近く我が国の大日山を尋ぬれば日天の能住なり聖人此の高峰を撰んで本門を弘めんと欲す」(御書 1613 ㌻)に対応したものと解せられる。「五人所破抄」の「先師」「聖人」との対応を考えるならば、「表白」が言う「本仏」はまさに日蓮を指すと解するのが素直な理解であろう。「本仏の所住」との表現は、具体的な人間の存在を想起させるものがある。

また、日興が逝去して3年後の 1336 年に著した「用心抄」では、日順は「問ふて云はく、正像二千年の高祖の弘法は皆以て時過ぐ、当世諸宗の人師を崇重する此れ亦堕獄ならば何れの人法を敬信して現当の二世を祈らんや、答へて云はく、経に云はく、一大事因縁、又云はく世を挙つて信ぜざる所文、然りと雖ども試に一端を示して信謗の結縁とせん、人は上行・後身の日蓮聖人なり、法は寿量品の肝心たる五字の題目なり」(『富士宗学要集』第2巻 14 頁)として、法は「五字の題目」、人は「日蓮聖人」が信の対象であると述べている。信の対象とは本尊の意味であるから、この文は日蓮を人本尊とする日蓮本仏義を示すものといえよう。

さらに日順は 1342 年の「誓文」で「親疎有縁の語に依つて非を以て理に処し、或は富福高貴の威を恐れて法を破り礼を乱る、若しくば妄情自由の見を起して悪と知つて改めず若しくば正直無差の訓を聞き善と知つて同ぜざる者は、仏滅後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大漫荼羅・所在の釈迦多宝十方三世諸仏・上行無辺行等普賢文殊等の諸薩埵・身子目連等の諸聖・梵帝日月四天竜王等・刹女番神等・天照八幡等・正像の四依竜樹天親天台伝教等・別して本尊総体の日蓮聖人の御罸を蒙り、現世には一身の安堵を失ひ、劫(かえ)つて諸人の嘲りを招き・未来には無間に堕ち将に大苦悩を受けんとす」(同 28 ㌻)と述べ、日蓮が曼荼羅本尊の総体であるとしている。この文は日蓮と曼荼羅本尊が一体不二であることを示すもので、

日蓮本仏義を明示するものとなっている。この「誓文」について宮田氏は、漆畑正善に対する反論の中で「日順のコスモロジーの中で上位に位置する『大漫荼羅・所在の釈迦多宝十方三世諸仏』等が理念的に勧請され、最後に有縁の具体的な仏神である『本尊総体の日蓮聖人』が『別して』勧請されるという形式を踏んでいる。もし人法一箇の日蓮本仏論が日順にあったら、その日蓮がコスモロジーの下位にあるということは説明されなければならない」と述べ、日順が日蓮本仏論を述べた文ではないと主張している。しかし、この主張は客観的な根拠が何もない極めて恣意的なもので、到底同意できるものではない。「大漫荼羅・所在の釈迦多宝十方三世諸仏」等が日順のコスモロジーの中でどうして上位に当たり、「日蓮」が下位に当たると言えるのか、何の裏づけもない(総別をあえて上下関係に当てはめるならば、法華経の総付嘱・別付嘱のように、むしろ「別」を上位に、「総」を下位に置くのが一般であろう。そもそも曼荼羅本尊の座配を「日順のコスモロジー」とすることも不適切である。曼荼羅本尊の座配は本尊を礼拝する各人が所有している宇宙観の表明などではない)。
「誓文」の文を素直に読むならば、「起請文」の形式であろうとなかろうと、法を破り悪を改めない者は曼荼羅本尊に書かれている釈迦・多宝・十方三世諸仏等の罰を受け、別しては曼荼羅本尊の総体である日蓮の罰を受けるという趣旨であることは明らかであり、日順が日蓮を曼荼羅本尊の「総体」と規定していることは誰人も否定できない。むしろ、この文は、日蓮と曼荼羅本尊の一体不二という人法一箇の法理を示した文であると受け止めるのが常識的な態度であろう。

なお、日順の著述とされてきた「本因妙口決」にも「久遠元初自受用報身とは本行菩薩道の本因妙の日蓮大聖人を久遠元初の自受用身と取り定め申すべきなり」(同 83 ㌻)との明確に日蓮本仏義を示す文がある。宮田氏は身延派の論者とともに、本抄に「日蓮宗」の用語があることを理由に「本因妙口決」を偽書としているが、それだけの理由で本抄を偽書と断定するには根拠不十分であると思われる(この点を指摘した漆畑正善に対する宮田氏の反論は議論が拡散していて、ほとんど説得力を持っていない)。
『富士宗学要集』を編纂した堀日亨は「本因妙口決」について、「この時代として天台色のあるものがある。ゆえに一般日蓮宗では、口決は後人が順師にたくして、天台色のあるものを書いたとみている。しかし日蓮大聖人のもの、そのものが中古天台の説を使用している。ゆえに順師がそうだからといって偽作にするのは変である」(「大白蓮華」第 102 号 28 ㌻)と述べて偽作説を退け、本抄が日順の撰述によるとの立場に立っている。「本因妙口決」を後人による偽作と断定するにはまだ根拠不足であり、本抄が日順によるものである可能性はなお否定できない。「本因妙口決」が日順撰述である可能性を完全には否定できず、また先に挙げた「表白」「用心抄」「誓文」が日順の著述であることが確定している以上、日興とほぼ同時代の宗門上古に既に日蓮本仏

論が存在していたことが了解できよう。三位日順に日蓮本仏論がないという宮田氏の見解は、「本因妙口決」を除いて、日順
撰述が確定している文献だけを見る限りでも否定されるのではなかろうか。

宗門上古に日蓮本仏論を説いたのは三位日順だけではない。南條時光の子息である富士妙蓮寺の眼日(にちげん)が 1380 年に著したとされる「五人所破抄見聞」には「威音王仏と釈迦牟尼とは迹仏也、不軽と日蓮とは本仏也、威音王仏と釈迦仏とは三十二相八十種好の無常の仏陀、不軽と上行とは唯名字初信の常住の本仏也」(『富士宗学要集』第4巻1㌻)との明確な日蓮本仏論の表明がある。もっとも、本抄は妙蓮寺日眼の作ではないとの説も出されているが、その論証は必ずしも十分な根拠を示せていない。ここで詳しく議論する余裕はないが、「五人所破抄見聞」が妙蓮寺日眼の作である可能性はなお否定できない。その場合、
「五人所破抄見聞」も、三位日順の著述とともに宗門上古に日蓮本仏論があったことを示す裏づけとなろう。

宮田氏の見解によれば、日蓮本仏論は日蓮にも日興にもなかったのであるから、日蓮・日興はともに釈迦本仏の立場に立っていたということになろう。そうなると、六世日時や九世日有に至って、それまでの釈迦本仏義を否定して、突如、他のどの門流も主張していない日蓮本仏義を主張するという教義上の革命を行ったことになる(そ

もそも、日時に「本因妙抄」の写本があったという宮田氏が立っている前提も近年では疑問視されている。大黒喜道は大石寺所蔵の「本因妙抄」写本の筆跡鑑定を行い、その文字が日時の筆跡ではないことを明らかにした〈『興風』第 14 号〉。日時に「本因妙抄」の写本がないということになれば、日時が日蓮本仏論を主張したとはいえず、富士門流において初めて日蓮本仏論を主張したのは日有ということになる)。仮に日有が富士門流の根本教義を従来の釈迦本仏義から日蓮本仏義に切り替えたというのであれば、日有が何故にそれほどの大転換に踏み切ったのか、合理的な説明がなければならない。しかし、宮田氏においてはこの点の説明は一切存在しない。
常識的に考えるならば、日蓮・日興以来、継承されてきた釈迦本仏という根本教義を日有が突然否定して、それまで誰も主張したことのない日蓮本仏義を新たに唱えるに至ったとすることは余りにも不自然であり、ほとんどあり得ない事態であろう。やはり、日蓮本仏論は日蓮・日興という日蓮仏法の源流において既に存在していたのであり、それを日興以後の貫首として初めて明確に表明したのが日有であったと考えるのが妥当であろう。
先に述べたように、日蓮自身に日蓮本仏の思想は明確に存在したが、日興およびそれ以後の貫首はあえてその教義を著述の形で表明することはなかった(三位日順など、それを行った学僧はいたが)。しかし、先に述べた通り、文献に明示されていないからといってその思想が存在しないということにはならない。日蓮本仏論は日蓮仏法の根本教義として日興門流に継承されてきたのであり、日有は貫首として、初めて

その奥義を明示することによって仏法を正しく後世に伝えようとしたのである。日有が日蓮本仏論を示した「化儀抄」などの聞き書きを弟子に書き取らせたことも次の少年貫首である日鎮など後継の人々に法門を伝えるためであったと考えられる(当時は少年貫首が続いた時代だった)。日有は「我カ申ス事私ニアラス、上代ノ事ヲ違セ申サズ候」(「聞書拾遺」『歴代法主全書』第 1 巻 425 ㌻)として、上代から伝承されてきた教義を誤りなく後世に伝えようとする姿勢を貫いてきた人物である。その日有が日蓮・日興の根本教義を否定して新たな教義を立てるということはあり得ないというべきだろう。

(5)釈迦仏像の礼拝を容認すべきか

宮田氏は公表されている論文「学問的研究と教団の教義ー創価学会の場合」では明言を避けているが、他の論文では明らかに釈迦仏像の造立・礼拝を認める場合もあり得るとする。例えば「日興の教学思想の諸問題(2)――思想編」で氏は次のように述べている。
「日蓮、日興の思想にあくまでも従うという原理主義を採用するならば、もし現在がまだ逆縁広布の時代だと判断すれば、曼荼羅本尊を主張するだろうし、もし現在が順縁広布の時代であると判断すれば、釈迦仏像本尊を許容するだろう」

氏の見解によるならば、順縁広布の時代と判断した場合には曼荼羅本尊に替えて釈迦の仏像を礼拝するという驚くべき事態が起こりうることになる。氏のこの見解は、正信会の大黒喜道の説を踏襲したものと思われるが、「逆縁広布=曼荼羅本尊、順縁広布=仏像本尊」という大黒の説は、「曾谷入殿殿許御書」にいう「一大秘法」は万年救護本尊に当たると主張するなど、極めて主観的な憶測に基づく、客観的根拠に欠けた見解で、荒唐無稽な「珍説」という他なく、一般に到底支持できるものではない。

翻って日蓮は本尊をどのように考えていたか。日蓮が門下に対して礼拝の対象である本尊として授与したものは曼荼羅本尊以外にない。門下が釈迦仏像を造立したことを容認した例は富木常忍と四条金吾夫妻だけで、日蓮が門下に対して釈迦仏像の造立を積極的に勧めたことは一切ない。日蓮が富木常忍と四条金吾夫妻の釈迦仏造立を容認したのは、本尊といえば絵像・木像の仏像であるという観念が支配的だった当時の社会通念を踏まえ、人々が阿弥陀如来や大日如来に傾いている中で釈迦仏像を造立することは他経に対して法華経を宣揚する権実相対の趣旨からは正しい方向であるとしたのであろう。もし日蓮が富木常忍らの釈迦仏像造立を厳しく破折したならば、法華経を信仰してきた彼らの信心そのものを破壊する恐れがあったと思われる。日蓮による釈迦仏像造立の容認は極めて例外的なことであり、文字曼荼羅が本尊であることが十分に理解できなかった当時の門下の機根を考慮しての化導であった。

日蓮は、伊豆流罪の時に地頭伊東八郎左衛門から贈られた釈迦の一体仏を随身仏として所持したが、それは日蓮自身の境地においてなされたことであり、門下に対して釈迦一体仏を本尊とするように教示したことは一切ない。日寛が「末法相応抄」で「吾が祖の観見の前には一体仏の当体全く是れ一念三千即自受用の本仏の故なり」(『六巻抄』172 ㌻)と述べていることが妥当であろう。
身延派の中興の祖とされる行学院日朝の「元祖化導記」によれば、日蓮は臨終の前日、それまで安置していた釈迦の一体仏を退け、曼荼羅本尊を掛けるよう指示したと伝えられる。そこにも文字曼荼羅を本尊とする日蓮の最終的な意志が示されているといえよう。また、日興の「宗祖御遷化記録」によれば、日蓮は臨終に先立ち、釈迦の一体仏を自身の墓所の傍らに置くよう遺言した。その処置においても釈迦仏像を門下が広く礼拝する本尊とするのではなく、日蓮を偲ぶためのものとして扱うべきであるとの意図をうかがうことができる。

日蓮は「観心本尊抄」で、本尊について次のように述べている。
「其の本尊の為体(ていたらく)本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士(きょうじ)上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して月卿雲閣(うんかくげっけい)を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり」(御書 247 ㌻)

して所持したが、それは日蓮自身の境地においてなされたことであり、門下に対して釈迦一体仏を本尊とするように教示したことは一切ない。日寛が「末法相応抄」で「吾が祖の観見の前には一体仏の当体全く是れ一念三千即自受用の本仏の故なり」(『六巻抄』172 ㌻)と述べていることが妥当であろう。
身延派の中興の祖とされる行学院日朝の「元祖化導記」によれば、日蓮は臨終の前日、それまで安置していた釈迦の一体仏を退け、曼荼羅本尊を掛けるよう指示したと伝えられる。そこにも文字曼荼羅を本尊とする日蓮の最終的な意志が示されているといえよう。また、日興の「宗祖御遷化記録」によれば、日蓮は臨終に先立ち、釈迦の一体仏を自身の墓所の傍らに置くよう遺言した。その処置においても釈迦仏像を門下が広く礼拝する本尊とするのではなく、日蓮を偲ぶためのものとして扱うべきであるとの意図をうかがうことができる。

日蓮は「観心本尊抄」で、本尊について次のように述べている。
「其の本尊の為体(ていたらく)本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士(きょうじ)上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して月卿雲閣(うんかくげっけい)を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり」(御書 247 ㌻)
ここに言う「塔中の妙法蓮華経」とは曼荼羅本尊の中央に大書されている「南無妙法蓮華経」を指し、その「左右に釈迦牟尼仏・多宝仏」とは「南無妙法蓮華経」の左右にしたためられている釈迦牟尼仏と多宝如来であることは明らかである。すなわち、この文は、まさに曼荼羅本尊の「為体(ていたらく)」すなわち相貌を述べたものに他ならない。
また日蓮は「本尊問答抄」で、「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし」(同 365 ㌻)として「法華経の題目」すなわち南無妙法蓮華経を本尊とすべきであると教示し、さらに「問うて云く然らば汝云(い)何(かん)ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目なり釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生(のうしょう)を以て本尊とするなり」(同 366 ㌻)として釈迦仏を本尊としない理由を明示している。
すなわち、釈迦を含めた諸仏は法華経から生み出された(所生(しょしょう))の存在に過ぎず、法華経こそが諸仏を生み出した能生の存在であるから法華経を本尊とするのであるという。もちろん、ここでいう法華経とはテキストとしての法華経ではなく、法華経の題目すなわち南無妙法蓮華経を意味している。

日蓮は「観心本尊抄」の段階ではまだ含みのある表現を残していたが、「本尊問答抄」では釈迦仏を本尊としない立場を明示している(釈迦本仏義の否定)。この見地を踏まえるならば、「観心本尊抄」が曼荼羅本尊と釈迦仏像の両論併記であるという宮田氏の理解は日蓮の真意を読み誤ったものと言わなければならない。日蓮の具体の振る舞いに照らしても、また文献に示された教示に照らしても、日蓮仏法の本尊は曼荼羅本尊のみであり、釈迦仏の仏像を本尊とする教義は日蓮には存在しない。

「原殿御返事」に「日興一人本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁(じん)に相当って覚え候へば」(編年体御書 1733 ㌻)とあるように、自身こそが日蓮の教義を正しく継承しているとの自覚に立っていた日興は、当然のことながら曼荼羅本尊正意の立場を堅持し、生涯の最後まで日興門流の寺院に釈迦の仏像を造立することを絶対に許さなかった。日蓮の滅後、身延の地頭波木井実長が釈迦の仏像を造立して本尊としたことを日興は謗法と断じ、地頭の謗法が明確になった以上、身延にとどまっていたのでは日蓮の正義を保持することができないとして身延を離山している。この行動を見ても、日興が釈迦の仏像造立・礼拝を重大な仏法違背としたことが理解できよう。
日興の曼荼羅本尊正意の立場は「富士一跡門徒存知の事」および「五人所破抄」の次の文に明確に示されている。

「日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為(な)さず、唯(ただ)御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可しと即ち御自筆の本尊是なり」
(「富士一跡門徒存知の事」、御書 1606 ㌻)
「日興が云く、諸仏の荘厳同じと雖も契印(いんげい)に依つて異を弁ず如来の本迹は測り難し眷属を以て之を知る、所以(ゆえ)に小乗三蔵の教主は迦葉・阿難を脇士と為し伽耶(がや)始成(しじょう)の迹仏は普賢文殊左右に在り、此の外の一躰の形像豈(あに)頭陀の応身に非ずや、凡(およ)そ円頓の学者は広く大綱を存して網目を事とせず 倩(つらつら) 聖人出世の本懐を尋ぬれば源(も)と権実已過の化導を改め上行所伝の乗戒を弘めんが為なり、図する所の本尊は亦正像二千の間・一閻浮提の内未曾有の大漫荼羅なり、今に当つては迹化の教主・既に益無し況や哆哆婆和(たたばわ)の拙仏をや、次に随身所持の俗難は只(ただ)是れ継子一旦の寵愛・月を待つ片時の螢光か、執する者尚強いて帰依を
致さんと欲せば須(すべか)らく四菩薩を加うべし敢て一仏を用ゆること勿(なか)れ云云」(「五人所破抄」、同 1614 ㌻)
日興は、日蓮仏法の本尊はあくまでも曼荼羅本尊であることを前提にした上で、どうしても仏像を造立したいと仏像に執着する者が出た場合には、釈迦の一体仏ではなく、脇士に上行等の四菩薩を加えて造立することを条件に、例外的処置としてそれを認めている。これは、日蓮が富木常忍・四条金吾夫妻の釈迦仏像造立を例外的に容認

したのと同様、門下の機根を鑑みた上での方便と理解すべきである。当時は本尊といえば絵像・木像の仏像と考える観念が強く、門下に対して仏像造立を全面的に禁止したのでは法華経の信心そのものが維持できない場合もありえたからである(四菩薩の造立を条件にしたことによって仏像の造立を抑制しようとしたとも考えられる)。
曼荼羅本尊正意の立場を堅持する日興に対し、宮田氏は「あまりにも曼荼羅本尊に執着しすぎ、釈迦仏像造立に消極的な日興の偏向であるとされても仕方がないだろう」(日興の教学思想の諸問題(2)――思想編)と批判している。釈迦仏像造立を認める宮田氏が日興を「あまりにも曼荼羅本尊に執着しすぎ」であり、「偏向」であると批判するのはもとより自由だが、しかしその姿勢は日蓮や日興よりも自己自身の判断を上位の基準とすることになっていないだろうか。それは「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」との仏法の基本的な戒めに違背するものとならないだろうか。
日蓮と日興が文字曼荼羅を本尊としたのは仏法上の深い必然性があったが故と解せられる(文字曼荼羅でなければ本尊を礼拝する人間を含めた十界の衆生が妙法に包摂されること、また南無妙法蓮華経と日蓮が一体不二であるという人法一箇の法理を表し得ない)。日蓮仏法について考察していくのであるならば、自分の考えを判断基準にして裁断するのではなく、日蓮、日興の言葉に謙虚に耳を傾ける在り方がもう少しあってもよいのではないかと思われる。

(6)学説が確かな根拠になりうるか

宮田氏の諸論文を読んでいて気になるのは、氏が学術的であることを至上価値と考え、学問の世界で認められている学説を判断の基準にしているように見受けられることである。例えば、身延派の学者による「御義口伝」偽作説に対して日蓮正宗側が反論していることについて、氏は次のように言う。「宗門から反論を出すだけで決着するような問題ではなく、むしろ印仏学会などの専門学会で、学会発表、学術論文での論争の上で決着するのでなければ学術的な議論をすることはできない。少なくとも日蓮正宗を代弁する形で、専門学会でそのような主張がなされたということを私はまだ聞いていない」(漆畑正善論文「創価大学教授・宮田幸一の『日有の教学思想の諸問題』を破折せよ」を検討する)。
これでは専門学会での発表や論文以外の言論は論評するに値しないと言っているに等しく、アカデミズムの傲慢、慢心と言われてもやむを得ないだろう。学問は本来、万人に開かれたものであり、専門学会に属する者だけが独占するものではない。専門学会での議論はもちろん意味はあるが、専門学会外の言論に対して専門学会での議論であるというだけで優越的・特権的地位を有するものではない。もしも専門学会の外の言論は学問的に認めないという傲慢な態度に終始していたならば、その学問自体が視野狭窄状態に陥って一般社会との繋がりを失い、硬直化していくだけであろう。宮田氏も専門学会での発表や学術論文以外の主張を相手にしていたのでは学術的な議論

をすることはできないなどと「上から目線」で門前払いしていないで、日蓮正宗の言い分についてもそれこそ学術的な態度で誠実に論評すべきではないだろうか。
そもそも専門学会における支配的な学説といっても、ある時点において認められていただけで永遠不滅のものではない。ある時点では支配的な学説も、時代が経過すれば誰からも支持されない過去の遺物になっていく場合があることは、学問の分野を問わず、むしろ通常一般の在り方である。仏教学の分野の例を挙げれば、大乗仏教の起源について、かつては平川彰博士が提唱した仏塔起源説が支配的な通説だった時期があったが、今日ではその説はほとんど支持されていない。研究者の共通認識とか一般的な学説などといっても、その時代時代の風潮の反映であり、確固不動の基準になるものではない。人間の持つ知識はどこまでも暫定的なものであって、後になれば誤りであったことが判明する可能性をはらんでいる。従って、専門学会における一般的な見解だからといって、それを絶対視することはむしろ大きな誤りを犯す恐れがある。
諸学問がますます細分化されている今日、少数の仲間内だけにしか通用しない閉鎖的議論に終始する結果、その議論が一般社会の感覚から懸け離れ、「専門学会の常識が世間の非常識」になる場合も稀ではない。学問の「たこつぼ化」の反省から、専門の枠を超えた学際的・総合的な洞察が求められている今日、専門学会での議論でなければ相手にしない
などという思い上がった尊大な態度はむしろ厳しく批判されなければならない。

さらに気になるのは、それほど専門学会での議論を重視している当の宮田氏の諸論文が、自分の所属している大学や研究所の紀要ばかりで、厳正なレフェリーシステムがある全国的な専門学会の機関誌(例えば日本哲学会の「哲学」など)に掲載されたものが、氏の専門である哲学の分野を含めて、皆無であるということである。
一般論として、専門学会の機関誌への寄稿がなければ社会に通用する研究者とは認められない。この点について日本中世史の研究者である細川涼一氏は次のように述べている。
「われわれ大学院生につねに温顔をもって接して下さった先生〈佐々木銀弥氏を指す―― 引用者〉は、しかし、研究者として自立し通用するためには大学内の雑誌に書くのではなく、レフェリーシステムのある学会誌に投稿するよう厳しく指導された」、「外で通用する研究者になるようにとの佐々木先生の忠告・助言がなかったなら、研究者としてともかくも自立している今日の自分はなかったように思う」(『中世の身分制と非人』あとがき)。
大学や研究所の紀要は、他の研究者によるチェックがほとんど入らないので、執筆者がそれこそ自分の好きなように書くことができる。宮田氏の諸論文が学術論文のような形をとっていながら、内容が極めて主観的で説得力に乏しいのはこのような事情も働いているようである。

(7)自分の判断が一切の基準か

宮田氏の著書や論文を読んでみると、氏の発想の根底にはいわゆる相対主義的な思考があるようである。例えば『牧口常三郎はカントを超えたか』で、氏は幸福観や価値観または真理の捉え方が個人や社会によってさまざまであるとして、次のように言う。
「宗教的信仰と功徳、法罰との因果関係を客観的に規定するためには、幸福観、価値観の多様性ということが障害になってくる。(中略)そこで多くの宗教社会学的調査がしているように、幸福、不幸というものが主観的なものであっても構わないということのほうが、より人間の生活実状に即している」(同書 143 ㌻)
「『永遠の真理』とは一つの理念ではあっても、現実にはそのような真理を所有しているわけではないという相対主義的な見解が大多数の哲学者の見解となっている。そのうえで、なお人々は『真偽』という用語を使用しているが、その使用はその人々が所属する文化的共同体が持つ常識的信念や大多数の学者たちの同意する学問的知識などを含む世界像に依存している」(同書 170 ㌻)
また、宮田氏は論文「『本尊問答抄』について」でもドイツの哲学者シュリックとヴィトゲンシュタインとの論争に触れ、氏自身の結論として「『人々が一致して』受け入れる倫理規範は実際には成立しないだろう」と述べている。
宮田氏は日蓮仏法における曼荼羅や方便品・寿量品の読誦についても相対主義的な立場から捉え、次のように言う。


宮田氏の著書や論文を読んでみると、氏の発想の根底にはいわゆる相対主義的な思考があるようである。例えば『牧口常三郎はカントを超えたか』で、氏は幸福観や価値観または真理の捉え方が個人や社会によってさまざまであるとして、次のように言う。
「宗教的信仰と功徳、法罰との因果関係を客観的に規定するためには、幸福観、価値観の多様性ということが障害になってくる。(中略)そこで多くの宗教社会学的調査がしているように、幸福、不幸というものが主観的なものであっても構わないということのほうが、より人間の生活実状に即している」(同書 143 ㌻)
「『永遠の真理』とは一つの理念ではあっても、現実にはそのような真理を所有しているわけではないという相対主義的な見解が大多数の哲学者の見解となっている。そのうえで、なお人々は『真偽』という用語を使用しているが、その使用はその人々が所属する文化的共同体が持つ常識的信念や大多数の学者たちの同意する学問的知識などを含む世界像に依存している」(同書 170 ㌻)
また、宮田氏は論文「『本尊問答抄』について」でもドイツの哲学者シュリックとヴィトゲンシュタインとの論争に触れ、氏自身の結論として「『人々が一致して』受け入れる倫理規範は実際には成立しないだろう」と述べている。
宮田氏は日蓮仏法における曼荼羅や方便品・寿量品の読誦についても相対主義的な立場から捉え、次のように言う。
「曼荼羅にも文化相対主義的問題はある。それは曼荼羅が大部分漢字で書かれているという問題である。漢字文化圏に所属する人々であれば、曼荼羅を見て、その普遍的な救済理念を知ることができるが、漢字文化圏に所属していない人々には、何が表現されているか全く分からない。(中略)仏教はもともと多言語主義だから、曼荼羅が聖別を必要としないのであれば、救済の普遍性のメッセージを伝達することができればよいのだから、曼荼羅も漢字で書かれる必要性はなくなるだろう。日蓮は方便品、寿量品の読誦を必要な修行と認めたが、それも何も漢字の経典を、日本語化した中国語式発音で読誦する必要もないだろう」(『本尊問答抄』について)

氏の発言は真理と価値の両面にわたっているので、いわゆる認識的相対主義と道徳的相対主義の両方を含む立場のようである。相対主義は、古代ギリシャのプロタゴラスが「人間は万物の尺度である」と主張したように、西洋・東洋を問わず大昔から存在した見方で、何もこと新しいものではない。ただ、1960 年代以降に台頭した「ポストモダン」の論調が相対主義的立場に立ったので、相対主義が一時的に流行したような時期もあったが、同時に厳しい批判も提起されており、相対主義の中身にもよるが、「相対主義的な見解が大多数の哲学者の見解となっている」というのは明らかな言い過ぎであろう。
何が正義か、何を価値とするかという判断基準が個人や社会によって多様であるというのは一面の真理だが、それを極端にまで押し進めると、「誰がどのような信念をも

って何をしようと全てそれは正しい」ということになり、「何をやってもよい」という無秩序、あるいは「全てはどうでもよい」という虚無主義に陥りかねない。自己と他者の間には何の共通性もなく、全く理解不能なエイリアン同士となり、力だけが解決の手段となる弱肉強食の「万人の万人に対する闘争」となる恐れがある。相対主義を突き詰めたら、ホロコーストや無差別テロさえをも倫理的に非難することが不可能となろう。実際、人類史においては他部族・他民族あるいは異教徒や異端者に対する大量虐殺は珍しいことではなかった。しかし、多くの悲惨を経験しながら、互いの差異を超えて共存する道を模索してきたのが人類の歴史であったはずである。
それは、個人や社会における多様性を踏まえながら、同じ人間として共通する基盤があることを発見していく営みであったともいえよう。どれほど文化や言語が異なっていても人間同士の意思疎通は可能であり、またホメロスや司馬遷などを思い起こすまでもなく、文化圏を全く異にする数千年前の文学作品であっても現代人が共感することができる。このような事実は、文化や人種・民族などの差異を超えて、人間が人間存在として共通普遍の基盤を共有していることを示している。第二次大戦後の世界人権宣言で結実した基本的人権の思想は、まさに人間の共通普遍の基盤が存在するという信念に立っている(一切の人権を否定して人種差別・性差別・奴隷制度の復活を公に主張することは、今日の世界においてはまともな議論とは受け入れられないだろう)。人間の持つ多様性と共通性の両面を見ていくのが中庸を得た在り方ではなかろう

か。翻って相対主義的な思考は人間の共通性を軽視し、差異性のみを強調し過ぎる偏りがある。
20 世紀を代表する哲学者の一人カール・R・ポパーは相対主義的思考の危険性を指摘し、次のように厳しく断罪している。
「それ(大言壮語の、意味不明の言葉遣いの流儀を指す――引用者)は知的無責任というものです。それは、常識を、理性を破壊します。それは相対主義とよばれるような態度を可能とします。この態度は、あらゆるテーゼは知的には多かれ少なかれ同等に主張可能であるというテーゼを導きます。すべてが許されるのです。ですから相対主義のテーゼは、明らかにアナーキー、法の喪失状態、そして暴力の支配を導くのです」(『よりよき世界を求めて』301 ㌻)
「相対主義は、知識人たちが犯した数多くの犯罪のうちのひとつです。それは、理性に対する、そして人間性に対する裏切りです。ある種の哲学者たちは真理にかんする相対主義を説いていますが、それは、思うに、真理と確実性の観念を混同しているからなのです」
(同書 19 ㌻)
人間の普遍性を直視することなくして人類に建設的な貢献をしていくことは不可能であろう。「ポストモダン」の思想が結局は批判に終始するだけで、何ら将来の展望を示すことができなかった原因もその辺にあるといえそうである。

人間の普遍性に関して、哲学者の竹田青嗣氏は「自由」こそが人間存在に共通する本質的な欲望であるとの洞察の上から次のように述べている。
「『自由』が人間的欲望の本質契機として存在する限り、人間社会は、長いスパンで見て、『自由の相互承認』を原則とする普遍的な『市民社会』の形成へと進んでゆくほかはない。ここに含まれる社会の理念は以下のようである。
どんな国家においても、また国家間においても、普遍暴力状態が制御され、政治と経済と文化における自由な承認ゲームの空間が確保されてゆくこと。このことによって、すべての人間が、宗教、信条、共同体的出自、言語、職業、その他の条件によって差別されず、つねに対等なプレーヤーとして承認しあうこと」(『人間の未来』266 ㌻)
普遍性といえば、一切衆生の成仏を標榜する仏教は、人間どころか全ての生命を貫く普遍性を強調する思想である。なかんずく天台大師が確立した一念三千の法理は、五陰世間・衆生世間・国土世間の三世間を含み、植物や岩石など通常は神経や意識を持っていないと考えられてきた非情の存在まで有情と共通の法理に貫かれているとする。三世間の「世間」とは差異・区別を意味する言葉であるから、要するに万物はそれぞれの差異を有しながら、同時に共通・普遍の法の当体であると見るのが一念三千の生命観である。ここに、多様性と普遍性の両面を包含する仏教の卓越性を見ることができよう。

宮田氏によれば、曼荼羅本尊もアルファベットやギリシャ文字、ペルシャ文字、ハングルなど、漢字以外の文字でしたためても差し支えないことになりそうだが、はたしてそうだろうか。曼荼羅が文化的共同体ごとに異なる文字で表された場合、人の流動性がますます活発化している今日、仕事等で世界各地を移動する人は移動するたびに異なる文字の曼荼羅を礼拝しなければならないケースも生ずるだろう。それでは本尊としての普遍性・統一性は全く失われてしまう(方便品・寿量品の読誦についても同様の問題が生ずる。各国語に翻訳されたもので読誦したのでは、国が異なる人同士が一緒に勤行することはできない。修行としての統一性はやはり尊重されるべきであろう)。
曼荼羅本尊は仏の生命そのものであり、妙楽大師が「たとい発心真実ならざる者も正境に縁すれば功徳なお多し」と述べているように、たとえ曼荼羅に記されている文字の意味が全く理解できない人でも、曼荼羅が仏の当体であることを信じて唱題に励むならば、曼荼羅本尊という正しい対境に縁することによって、感応妙の原理により、自身に内在する仏界の生命が触発されるであろう。そもそも曼荼羅に記されている文字は十界の衆生が南無妙法蓮華経に照らされて仏界所具の十界となっている姿を表すもので、礼拝者に対して一定のメッセージを伝達するためのものではない。その意味では曼荼羅に記された文字は論文や消息などの文字とは意義が異なると考えられる。曼荼羅本尊は漢字と梵字で記されているが、漢字や梵字の文化圏に限定された相対的なものではなく、「経王殿御返事」に「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて

候ぞ信じさせ給へ」(御書 1124 ㌻)とある通り、末法の本仏日蓮と一体不二である仏の当体そのものとして受け止めるべきであろう。

宮田氏の姿勢について、相対主義の問題と併せて気になるのは自己の主観的判断や嗜好を基準とする在り方である。例えば、一般の門下には開示しない教義を一部の限られた門下に教示することを宮田氏は「二重基準」「秘密主義」と規定し、「私としては二重基準を持った宗教者という日蓮像は好きではない」(『守護国家論』について)と述べている。氏がどのような嗜好性を持っても自由だが、宗教者の人間像や教義まで自分の好き嫌いを基準に判断するのは適切ではないだろう。
日蓮が「種脱相対」や「日蓮本仏義」などの内奥の教義を一般の信徒には開示せず、極めて少数の門下にしか示さなかったことは事実として認められる。その事実は他人の好き嫌いなどによって左右されるものではない。例えば種脱相対や曼荼羅本尊について教示した「観心本尊抄」を日蓮は富木常忍に与えたが、その「送状」には「此の書は難多く答少し未聞の事なれば人目耳(じもく)を驚動す可きか、設(たと)い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿(なか)れ」(同 255 ㌻)と、同抄を決して多くの人に読ませてはならないと厳しく戒めている。
日蓮が「宗教の五綱」について「行者仏法を弘むる用心を明さば、夫れ仏法をひろめんと・をもはんものは必ず五義を存して正法をひろむべし、五義とは一には教・二

には機・三には時・四には国・五には仏法流布の前後なり」(同 453 ㌻)と述べている通り、仏法の弘通は、教理の内容はもちろん、相手の能力(機根)、時代や国土の状況などを総合的に勘案してなされるものであり、誰に対しても一律の内容が開示されるものではない。相手によって異なる教示がなされることにはそれだけの理由と周到な判断があるのであり、その多様な言語表現について「二重基準」「秘密主義」などと非難めいた言辞を弄すること自体が筋違いであり、自身の浅慮を示すものという他ない。「大智慧の者ならでは日蓮が弘通の法門分別しがたし」(「阿仏房尼御前御返事」、御書 1307 ㌻)の言葉を重く受け止めるべきであろう。宮田氏が仏教の教義についても自身の主観的理解を基準に判断していることは氏の諸論文の随所にうかがえる。例えば、草木成仏についても氏は「非生物である草木が仏になる(=修行もなしで成仏できる)という神秘思想は全く理解できず、日蓮が魂を込めたから、曼荼羅本尊が仏の当体となるという神秘思想も理解できなかった」(SGI 各国の HP の教義紹介の差異について)と述べ、草木成仏の法理を神秘思想であるとして否定している。草木成仏とは、草木や岩石など、感情や意思を持たない存在と考えられてきた「非情」の存在も十界の当体として仏となりうるという法理であり、一念三千の要素である国土世間の概念と結びついている。
草木成仏は一念三千の法門の前提であり、日蓮自身も「観心本尊抄」で妙楽大師の「一草・一木・一礫・一塵・各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」の文を引いて確認している(御書 239 ㌻)。天台・妙楽・日蓮が一貫して維持してきた草木成仏の法

理を神秘思想という一言で排除したならば、三世間の中の国土世間を否定することになって一念三千の法数が成就せず、「一念二千」になってしまう。宮田氏にとっては、天台・妙楽・日蓮が仏教の根本教義としてきた一念三千の法理よりも自身の主観的判断の方が上位に位置づけられている。
「私は合理主義者である」(日興の教学思想の諸問題〈2〉)として合理主義者を標榜する宮田氏は合理性を重視し、理性で当否を判断できない思想は神秘思想として排除する立場に立つようである。しかし、世界は理性で全て解明できているわけではなく、最先端の科学によっても未知の領域はいくらでもある。理性を重んずることは正しい態度だが(日蓮も「三証」の一つとして「理証」を挙げている)、同時に理性の限界を認識しておくことも重要である(ソクラテスの「無知の知」はその意味において理解することもできよう)。竜樹や天台の著述にある「言語道断・心行所滅」という言葉も世界を貫く真理が言語や人間精神の力では把握し表現できないことを示している。理性が判断できないものを全て拒絶するという理性至上主義でなく、人間の理性では把握できないものがあり、現在は正しい知識とされているものも絶対的なものではなく、未来には誤りとされて修正される可能性があることを認める謙虚さが必要ではなかろうか(ちなみに植物も歴(れっき)とした生物であり、宮田氏が「非生物である草木」としているのは明らかな誤りである。また、氏は草木成仏について「修行もなしで成仏できる」こととしているが、自行化他にわたって唱題に励む仏道修行は人間の

なって一念三千の法数が成就せず、「一念二千」になってしまう。宮田氏にとっては、天台・妙楽・日蓮が仏教の根本教義としてきた一念三千の法理よりも自身の主観的判断の方が上位に位置づけられている。
「私は合理主義者である」(日興の教学思想の諸問題〈2〉)として合理主義者を標榜する宮田氏は合理性を重視し、理性で当否を判断できない思想は神秘思想として排除する立場に立つようである。しかし、世界は理性で全て解明できているわけではなく、最先端の科学によっても未知の領域はいくらでもある。理性を重んずることは正しい態度だが(日蓮も「三証」の一つとして「理証」を挙げている)、同時に理性の限界を認識しておくことも重要である(ソクラテスの「無知の知」はその意味において理解することもできよう)。竜樹や天台の著述にある「言語道断・心行所滅」という言葉も世界を貫く真理が言語や人間精神の力では把握し表現できないことを示している。理性が判断できないものを全て拒絶するという理性至上主義でなく、人間の理性では把握できないものがあり、現在は正しい知識とされているものも絶対的なものではなく、未来には誤りとされて修正される可能性があることを認める謙虚さが必要ではなかろうか(ちなみに植物も歴(れっき)とした生物であり、宮田氏が「非生物である草木」としているのは明らかな誤りである。また、氏は草木成仏について「修行もなしで成仏できる」こととしているが、自行化他にわたって唱題に励む仏道修行は人間のみがなしうることであり、人間以外の動物は行うことはできない。その点では動物も植物と同列である。氏は、仏性があるのは人間だけで、人間以外の動物には仏性はないとするのであろうか)。最近のウイルス学の知見によれば生物と非生物の区別はあいまいになっており(生物と非生物を厳密に区別できない)、有情と非情の両者を包含して万物を生命の当体として把握しようとする一念三千の思想は、むしろ現代の学問からも支持されるものになっていると思われる。草木成仏の法理は現代の学問の方向性と合致しており、決して理解不能な神秘思想などではない。

各人の理解が判断の基準であるという相対主義的立場に立つ氏は、自分が理解できないものは全て排除し、否定しているようである。しかし法華経は、「仏の成就したまえる所は、第一希有(けう)難解の法なり。唯(た)だ仏と仏とのみ乃(いま)し能く諸法の実相を究尽したまえり」
(法華経 108 ㌻)、「又た舎利弗に告ぐ 無漏不思議の 甚深微妙の法を 我れは今已に具え得たり 唯だ我れのみ是の相を知れり 十方の仏も亦た然なり」(同 111 ㌻)と説き、仏が悟達した甚深の法は仏のみが知り得るものであって、声聞・縁覚・菩薩などでは知り得ないものであるとしている。「言語道断・心行所滅」の言葉と同様、仏の悟った法は二乗などが用いる合理的判断力を超越したものであるとするのである。その故に仏法の領解は、智慧第一の舎利弗ですら自身の智慧ではなく法に対する信によって初めて可能になると説かれる(「以信得入」)。

それに対し、自分の理性的判断で理解できないものを全て神秘思想として否定する態度では罪障消滅(宿命転換)や人間革命、あるいは祈りの力ということも受け入れられないものとなるのでは
なかろうか。およそ宗教とは、妙法といい神というなど呼称は様々であるとしても、死後の問題を含めて、人智を超越した何ものかを信ずることに他ならない。それ故に、理性で判断できないものは全面的
に排除するという単純浅薄な合理主義にとどまっていたのでは、結局のところ宗教を取り扱うことは不可能となろう。
現代人である以上、各自の合理的理解で物事を判断していくのは当然だが、同時に理性は万能ではなく、世界には理性の力では把握できない領域があり、また各自の判断が誤まったものとして
常に修正される可能性があることを知らなければならない。その認識を持たず、自己の理解が常に正しいものとして自己の見解に固執し、他者からの批判を拒否して自分を特権的立場に置くことは
一つの傲慢として否定されよう。仏教においては仏や師匠の教えよりも自分の判断を優先させる態度が顕著な禅宗に対し(「祖殺仏殺(さつぶつさっそ)」〈臨済義玄〉という禅宗の言葉は象徴的である)
、天台大師は『摩訶止観』で「謂(い)己均仏(こきんぶつ)(己(おのれ)、仏に均(ひと)しと謂(おも)う)」として厳しく破折した。自己の理解を一切の基準にする姿勢は、天台のこの批判に当たる恐れがあると思われる。 -終-




[1] 宮田論文への疑問 前

投稿者: 管理人 投稿日:2017年 3月21日(火)09時25分0秒   返信   編集済

宮田論文への疑問
         ――日蓮本仏論についての一考察



  須田晴夫



2015 年 9 月 5 日、創価大学で開催された日本宗教学会第 74 回学術大会で、同大学教授の宮田幸一氏が「学問的研究と教団の教義ー創価学会の場合」として口頭発表を行い、それを加筆訂正した論文が宮田氏自身のホームページで公表された。氏が個人の立場でどのような内容を発表しようと、「表現の自由」「内心の自由」に属することで何の問題もないが、氏は創価学会の教義形成に影響力を持つ何らかの立場にあると聞いている。仮に氏がそのような立場にあるということになると、氏の見解は個人的意見にとどまらず、幾分か教団全体に関わる意味を帯びてくる。そこで筆者は、氏の論文に触れて若干の疑問を感じたので、氏の他の論文を含めて検討し、取り上げられた問題について議論を深めるための参考資料として本稿を作成することとした。

はじめに、各項目の表題を挙げておく。

(1) 「本門の本尊」があれば日蓮宗各派の信仰にも功徳はあるか
(2) 「功徳と罰」を主張することは誤りか
(3) 近代仏教学との関連
(4) 日蓮本仏論
    ①日蓮本仏論はカルトの理由となるか
    ②日蓮自身による日蓮本仏論
    ③日蓮が末法の教主(本仏)である所以
    ④日蓮が釈迦仏を宣揚した理由
    ⑤曼荼羅本尊の相貌に表れる日蓮の真意
    ⑥天台大師が示す教主交代の思想
    ⑦仏教の東漸と西還――仏教交代の原理
    ⑧上行への付嘱の意味――教主交代の思想
    ⑨真偽未決の御書について
    ⑩日興門流による日蓮本仏論の継承
(5) 釈迦仏像の礼拝を容認すべきか
(6) 学説が確かな根拠になりうるか

(7) 自分の判断が一切の基準か(1)「本門の本尊」があれば日蓮宗各派の信仰にも功徳はあるか

まず第一に、2014 年に創価学会が会則を改定した際、学会が日蓮図顕の文字曼荼羅も書写の文字曼荼羅も全て等しく「本門の本尊」であると説明したことに触れ、日蓮真筆の文字曼荼羅が日蓮宗各派の寺院に所蔵されていることから、宮田氏は先の論文で、「『本門の本尊』を信仰の対象としている日蓮宗各派の信仰、ならびに日蓮正宗の信仰にも、応分の功徳があるということを教義的には認めざるをえないことになるのではな
いかと私は考える」と述べ、さらに「『本門の本尊』を信仰しても、全く功徳がないという教義を日蓮の御書から導き出すのはかなり困難ではないかと私は思っている」としている。

はたして、そうであろうか。日蓮図顕の真筆本尊も書写の本尊も、いずれも南無妙法蓮華経を具現した「本門の本尊」であるという前提は当然としても、しかし、例えば身延山久遠寺や中山法華経寺に安置されている日蓮真筆本尊を、「本門の本尊」であるからといって久遠寺や法華経寺の信仰をもって拝んで、功徳はあるだろうか。私はないと思う。それを裏づけるのが「生死一大事血脈抄」の「信心の血脈なくんば法華経を持つとも益無(むやく)なり」(御書 1138 ㌻)の文である。

この文で「法華経」とは経典としての法華経ではなく、文字曼荼羅と解せられる(晩年の日蓮は文字曼荼羅をもって「法華経」と呼んでいる)。この文は、血脈とは信心の異名であるという「信心の血脈」論の根拠となる有名な文であるが、この文を素直に読めば、いかに正しい曼荼羅本尊であっても、拝む側に正しい信心がなければ功徳はありえない、という意味になろう。

それ故に、これまで創価学会ではこの文を引いて「日蓮大聖人、日興上人の御精神に適った正しい信心がなければ血脈はなく、たとえ正しい御本尊を拝しても、功徳が現れることはない。かえって『かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし』〈919 ㌻〉と仰せのように、仏法違背の大罪となる」(「大白蓮華」第 627 号)と教えてきたのである。

この「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」との「種種御振舞御書」の文は、日蓮を崇拝する在り方としても「あしく敬う」場合と「よく(正しく)敬う」場合の相違があることを示している。どのような教義であれ日蓮を崇拝さえすればそれでよいということではない。誤って敬った場合には国が亡ぶほどの悪業になるというのである。

そうなると、曼荼羅本尊を拝みさえすればどのような宗派の信仰をもって礼拝しても応分の功徳があるという宮田氏の見解は、この文と明確に違背するのではなかろうか。仏教の根本テーゼである縁起説によるならば、万物はそれ自体のみで存在するものではなく、他者との関係性の網の目の中で存在し、価値を有する。文字曼荼羅も、それ自体が無条件で、人間が存在しない場所で本尊としての力を持つのではない。

曼荼羅に接する人間との関係性によってその意味と力が異なってくる。日蓮が図顕した曼荼羅本尊は「観心の本尊」すなわち「信心の本尊」であり、正しい信心をもって拝して初めて本尊としての力用が現れるのである。信心が皆無のところにおいては、たとえ日蓮真筆の文字曼荼羅でも本尊としては現れず、一種の「掛け軸」に過ぎないことになる。

創価学会は、身延山久遠寺や中山法華経寺など日蓮宗各派の信仰は正しい信心とは認めず、むしろ誤ったものであるとしてきた。それにもかかわらず、宮田氏のように「日蓮宗各派の信仰、ならびに日蓮正宗の信仰にも、応分の功徳がある」としたのでは、それらの寺院に参詣することも必ずしも誤りではないということになり、これまでの学会の指導性の全面的否定になりかねない(当然、大石寺に参詣しても差し支えないことになる)。それでは、これまで創価学会の指導性に従って信仰してきた学会員を裏切ることになるであろう。

ただし、氏は現在の創価学会の方針として、「『本門の本尊』としては平等だからという理由で他教団の所有する本尊を拝んでもよいと容認するわけではなく」と、他教団の本尊の礼拝を容認していないと認識しているようである。しかし、それでは、他教団の本尊の礼拝は容認しないという学会の方針と「日蓮宗各派の信仰、ならびに日蓮正宗の信仰にも、応分の功徳がある」という氏の見解とでは矛盾しており、整合性がとれていない。氏の立場を論理的に貫けば、「他教団の本尊の礼拝を認めないのはむしろ教義的には誤りである」ということになるであろう。

もっとも宮田氏は、真筆ないしは直弟子などの古写本のない御書は日蓮の思想を判断する根拠にはなり得ないという立場をとっているので、真筆が現存しない「生死一大事血脈抄」も偽書として扱い、一切用いないとするのであろうか。真筆や古写本のない御書を全面的に排除する傾向が一部の研究者の間に見られるが、後に触れるように、そのような態度は真偽が確定できない御書を全て偽書として切り捨てるもので、行き過ぎであ
り、妥当ではない。

創価学会は、これまで血脈観として、正しい信心こそが血脈であるという「信心の血脈」論の立場に立ち、その根拠を「生死一大事血脈抄」に置いてきた。2015 年に発刊された『教学入門』(創価学会教学部編)は次のように述べている。

「日蓮大聖人は、成仏の血脈は特定の人間のみが所持するものではなく、万人に開かれたものであることを明確に示されています。『生死一大事血脈抄』に「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて、仏に成る血脈を継がしめんとする」(1337 ㌻)と仰せです。日蓮大聖人の仏法においては、『血脈』といっても、結論は『信心の血脈』(1338 ㌻)という表現にあるように『信心』のことです」(同書 318 ㌻)

仮に「生死一大事血脈抄」を偽書として排除した場合には、学会が主張している「信心の血脈」論も日蓮自身の思想ではなく後世に形成されたものとなり、根底から崩壊することになる。そのような事態は、学会員としては受け入れ難いものであろう。

(2)「功徳と罰」を主張することは誤りか

次に信仰の功徳について宮田氏は、「そもそも信仰に功徳があるかどうかという問題は、教義の問題でもあるが、むしろ信仰をしている人々が功徳を感じているかどうかという宗教社会学的な問題でもある」とし、さらに「宗教的功徳の特定信仰への独占ということは事実としては否定されるしかないと私は考えている」と述べている。論文の文章は抑制されているが、実際の口頭発表ではもっと率直な言い方になっている(口頭発表の内容はユーチューブで公開)。

特定宗教の熱心な信仰者を相当程度の人数選び出し、宗教社会学的な調査によって「あなたが実践している信仰には功徳(救済)があるとあなたは感じていますか」と質問すれば、どのような宗教であれ、大多数の割合で「功徳(救済)がある」という回答が寄せられるのは当然であろう(何の功徳〈救済〉もないと思っていながら熱心に信仰するということは考え難い)。宗教社会学的には、熱心な信仰者にとってはどのような宗教
であれその信仰を実践するだけの内的理由があり(その意味で功徳〈救済〉を感じている)、信仰の内容、教義の如何は宗教社会学においては問題にされない。宗教社会学は本来、宗教の教義の優劣を判定するものではないからである(あらゆる宗教に対して中立である)。つまり、宗教社会学は文字通り宗教の社会的・外形的側面を分析・考察するものであって、宗教の教義の優劣を判定する基準を持たない(価値判断を留保する)。

信仰の功徳について宗教社会学を中心に考える氏の立場からすれば、どのような宗教・宗派でもそれぞれの信仰者にとってはそれなりの功徳があるのだから、何を信仰してもよいということになる(「本門の本尊」に関連して、氏が「日蓮宗各派の信仰、ならびに日蓮正宗の信仰にも、応分の功徳がある」とするのは全ての宗教に対して価値中立的な社会学的見地に立っているからであろう)。逆に言えば、氏が「宗教的功徳の特定信仰
への独占ということは事実としては否定される」と明言する通り、特定宗教が「この信仰以外に真の功徳(救済)はない」と主張することは事実としては誤りとして否定することになろう。

表面的な事実としては、どのような宗教を信仰しようと、また無宗教であろうと、誰人の人生においても幸福(プラス)もあれば不幸(マイナス)もある。その事実だけを強調すれば、どのような宗教を信仰しようと、また無宗教であろうと何の相違もないということになる(わざわざ特定の宗教を信仰する必要もない)。それでは、全ての宗教そのものがおよそ無意味、無価値なものであり、単なる妄想になりかねない(神も仏もなく、世の中は所詮、金と力だという、日本人に広く見られる徹底した「現世主義」「宗教蔑視」に繋がっていく)。



信仰の功徳について宗教社会学を中心に考える氏の立場からすれば、どのような宗教・宗派でもそれぞれの信仰者にとってはそれなりの功徳があるのだから、何を信仰してもよいということになる(「本門の本尊」に関連して、氏が「日蓮宗各派の信仰、ならびに日蓮正宗の信仰にも、応分の功徳がある」とするのは全ての宗教に対して価値中立的な社会学的見地に立っているからであろう)。逆に言えば、氏が「宗教的功徳の特定信仰への独占ということは事実としては否定される」と明言する通り、特定宗教が「この信仰以外に真の功徳(救済)はない」と主張することは事実としては誤りとして否定することになろう。

表面的な事実としては、どのような宗教を信仰しようと、また無宗教であろうと、誰人の人生においても幸福(プラス)もあれば不幸(マイナス)もある。その事実だけを強調すれば、どのような宗教を信仰しようと、また無宗教であろうと何の相違もないということになる(わざわざ特定の宗教を信仰する必要もない)。それでは、全ての宗教そのものがおよそ無意味、無価値なものであり、単なる妄想になりかねない(神も仏もなく、世の中は所詮、金と力だという、日本人に広く見られる徹底した「現世主義」「宗教蔑視」に繋がっていく)。

しかし、宗教の特質として、どのような宗教であれ、多少なりとも自身の教義によってこそ真実の救済がある(他の宗教・宗派によっては真実の救済はない)と自己の最勝性を主張するものである。どのような宗教でもよいと説く宗教はまず皆無であろう(「宗教は何でもよい」としたのでは、あえてその宗教を立てる理由がなくなる)。いわば、「この信仰にこそ真の功徳(救済)がある」として自己の最勝性を主張する「確信」に宗教の特質があるのであり、それを誤りであるとして否定する氏の見解は宗教の特質を見失ったものとして、むしろ宗教の否定になりかねないのではなかろうか。


自己の教義の最勝性を主張するのが宗教の特質であるから、仏教経典でも自経の功徳と卓越性を説き、誹謗者の罰を説くことは広く認められる。中でも日蓮が最勝の経典とした法華経は、法華経受持の功徳と法華経誹謗者の罰が随所で強調されている。そのような経文は枚挙に暇(いとま)がないが、例えば薬王菩薩本事品では「若(も)し復(ま)た人有って、七宝を以て三千大千世界に満てて、仏及び大菩薩・支仏辟(ひゃくしぶつ)
・阿羅漢に供養せんも、是の人の得る所の功徳は、此の法華経の乃至一四句偈を受持する、其の福の最も多きには如かじ」(創価学会版法華経 593 ㌻)と法華経受持の絶大な功徳を説き、また陀羅尼品では「若し我が呪(しゅ)に順ぜずして 説法者を悩乱せば 頭(こうべ)破(わ)れて七分に作ること 阿(あ)梨樹(りじゅ)の枝の如くならん」(同 648 ㌻)と法華経の行者を悩ます者の現罰を説いている。

この薬王菩薩本事品の文を釈して中国の妙楽大師が『法華文句記』で「供養する有らん者は福十号に過ぐ(有供養者福過十号)」と述べたことはよく知られている。日蓮は曼荼羅本尊の左右の肩にこの「有供養者福過十号」の文と「若悩乱者頭破七分」の文をしたため、本尊受持の功徳と悩乱者の罰を明確にした(日蓮真筆の曼荼羅の讃文にはこの他にも数種類あるが、曼荼羅本尊の完成期である弘安年間の曼荼羅に記されるのはこの「有供養者福過十号」「若悩乱者頭破七分」の讃文が大半で、それ以外のものはほとんどない。また日興もこの讃文を記すことを基本とし、日興門流で書写される曼荼羅本尊にはこの「有供養者福過十号」「若悩乱者頭破七分」の讃文が記されている)。

しかし、特定の信仰だけに功徳があるという立場を否定する宮田氏は、別の論文でこの曼荼羅本尊の讃文を取り上げて次のように言う。「私は日蓮の曼荼羅に書かれた禍福の讃文の予言は宗教社会学的には真理とは言えないと思っている。(中略)その意味で私は日蓮の主張は誤っていると思っているから、曼荼羅からはその記述を除外すべきだと思っている」(SGI 各国の HP の教義紹介の差異について)氏は日蓮図顕の文字曼荼羅にも誤りがあるから、その部分を削除すべしと主張するのである。言うまでもなく、曼荼羅本尊には日蓮の教義が凝縮して示されている。その意味で、曼荼羅本尊にしたためられた功徳と罰の讃文には自身が生涯を賭けて確立した宗教に対する日蓮の絶対の確信が込められている。その日蓮の、いわば命を賭けた確信の表明を宮田氏は簡単に否定するのである。このような氏の見解は、価値判断を留保した(価値判断の基準をあえて持たない)宗教社会学を用いながら功徳と罰という宗教的価値を裁断する誤りを犯していると言わざるをえない
(次元が異なるものを混同して同一の次元に置いている)。

多くの宗教社会学者はその次元の相違を認識しており、価値判断を留保している宗教社会学の立場から特定宗教の教義や本尊を指して「誤っている」などと越権的に裁断するようなことはしていない。宮田氏の見解は宗教社会学の常識からも外れたものとなっている。氏は宗教社会学そのものも誤解しているのではなかろうか。そのような態度では日蓮の宗教を内在的に理解することは到底不可能であろう。

(3)近代仏教学との関連

次に宮田氏は、梅原猛による創価学会批判を紹介しながら、学会の教義と明治以降の近代仏教学との関連を取り上げる。具体的には、①大乗経典が釈尊の直説ではないこと、②「五時」説への固執、③仏滅年代と末法理論の関係、の三点を問題にしている。

①について、氏は次のように言う。

た確信の表明を宮田氏は簡単に否定するのである。このような氏の見解は、価値判断を留保した(価値判断の基準をあえて持たない)宗教社会学を用いながら功徳と罰という宗教的価値を裁断する誤りを犯していると言わざるをえない(次元が異なるものを混同して同一の次元に置いている)。

多くの宗教社会学者はその次元の相違を認識しており、価値判断を留保している宗教社会学の立場から特定宗教の教義や本尊を指して「誤っている」などと越権的に裁断するようなことはしていない。宮田氏の見解は宗教社会学の常識からも外れたものとなっている。氏は宗教社会学そのものも誤解しているのではなかろうか。そのような態度では日蓮の宗教を内在的に理解することは到底不可能であろう。

(3)近代仏教学との関連

次に宮田氏は、梅原猛による創価学会批判を紹介しながら、学会の教義と明治以降の近代仏教学との関連を取り上げる。具体的には、①大乗経典が釈尊の直説ではないこと、②「五時」説への固執、③仏滅年代と末法理論の関係、の三点を問題にしている。  ①について、氏は次のように言う。

「創価学会は日蓮仏法に関する教義解釈と宗教的儀礼に関しては日蓮正宗の伝統を継承してきた。しかし、日蓮正宗の日蓮仏法解釈は、鎌倉時代の日蓮、室町時代の日有、江戸時代の日寛の教義解釈を基礎としたものであり、明治以降の仏教の学問的研究の成果に対してまともに対応したものではなかった。

(これは日蓮正宗に限ったことではなく、日本の既成仏教団体全てが、宗祖に忠実であるならば、教義的には大乗仏教教典が直接釈尊によって説かれたという理解を前提にして成立していることには変わりがない。その理解が崩れたときに、宗派として存在することに教義的な意味は見失われ、歴史的意味しかないように私には思われる。)」

もちろん、日蓮を含めて日本の既成仏教教団の宗祖は全て大乗経典が釈尊によって説かれたという認識を前提にしている(本稿においては、実在した歴史的釈尊〈ゴータマ・シッダルタ〉を「釈尊」、法華経を含めて経典に登場する釈迦を「釈迦仏」と呼ぶことにする。両者を区別することで議論の混乱を避けるためである)。

その前提が崩れた時には教義的に宗派として存在している意味が無くなるのだろうか(もっとも創価学会は、『法華経の智慧』において法華経の成立は紀元一世紀以降であるとの認識を示すなど、既に近代仏教学の知見を取り入れた議論をしている)。この点については、拙著『新版 日蓮の思想と生涯』で若干述べたのでその箇所を引用することにする。

「歴史的釈尊の直説ではないということはなにも法華経に限ったものではない。大乗仏典はもちろん、最古層の仏典と見られる『スッタニパータ』などの原始仏典、小乗仏典を含めて、歴史的釈尊の直説と確実に言い切れるものはない。これは絶対に間違いなく歴史的釈尊が実際に説いた言葉であると断定できるものは存在しない(歴史的釈尊の直説ではないという意味では大乗経典に限らず全ての仏典が非仏説である。

経典が仏説か非仏説かを問題にすることは意味がない)。歴史的釈尊の言葉でなければ教義が成立しないというのであれば、結局、仏教全体が成立せず、無に帰してしまう。

同様のことはキリスト教などについても言える。イエスの言行を記述した四つの福音書は新約聖書に収められたキリスト教の根本聖典だが、最古の福音書と考えられているマルコ福音書にしてもイエスの死から数十年後に成立したもので、いずれの福音書も歴史的イエスが説いた言葉を正確に記述したものではない。歴史的イエスの言葉は厳密にはどこにも存在していないのである。イエスの言葉だけが教義の前提であるとしたならば、キリスト教全体が成立しないことになる。

仏教経典は、原始経典から大乗経典まで、いずれも後世の経典制作者がそれぞれの立場から、これが釈尊の教えであると信じたものを釈尊の名前を借りて表現したものである。(中略)従って各経典の内容は多種多様となるから、多数の経典の勝劣を判定し、どの経典を選びとるかという問題は後世の人間の主体的判断に委ねられることになる(例えば涅槃経は、『了義経〈真理を表した経典〉に依って不了義経〈真理を表していない経典〉に依らざれ』として、経典の内容を吟味し、その優劣を検討する作業が必要であるとしている)。

天台大師はその時までに中国に伝来していた仏教経典を検討した結果、五時八教の教判を確立し、法華経こそが仏の悟りをもっとも正確に表した最勝の経典であるとの結論に達した。日蓮もまた、その時代において目にできる一切経を閲覧し、天台の教判が妥当であると判断した。天台や日蓮自身の宗教体験を含めた仏教観そのものがその判断の根底に存したことは当然であろう。

従って、経典が歴史的釈尊の直説かどうかなどということは初めから問題にならない。釈尊が説いたから経典が尊いのではない。普遍的真理が示されているからこそその経典が尊いのである。日蓮は、法華経の全ての文字について『六万九千三百八十四字、一一の文字は皆金色の仏なり』(「単衣抄」一五一五頁)と言明した。それは、法華経において一切の仏が共通して悟った普遍の真理が示されているとの洞察があったが故ということができよう」(『新版 日蓮の思想と生涯』30 ㌻) 厳密な文献学によれば、歴史的釈尊の直説などどこにも存在しない。もしも、直説がなければ仏教の教義が成立しないと主張するのであれば、それは文献学をあまりに偏重するものであり、結果として仏教そのものを見失うものとなる(キリスト教についても同様である)。文献の厳密性にこだわり過ぎると宗教そのものが雲散霧消してしまう。

②について言えば、宮田氏が言及している梅原猛の批判とは、全ての経典が釈尊の直説であると考えた天台は釈尊の五十年の伝道生活を「華厳時」「阿含時」「方等時」「般若時」「法華涅槃時」の「五時」に配列し、それを経典成立の順序としたが、近代仏教学の知見によれば経典の成立は釈尊の死後数百年にわたるので、今日においては「五時八教」の教判自体が「無茶な話」になっているというものである。

その上で梅原は次のように言う。「文献学の発展しなかった頃の日蓮が、天台智顗の、このみごとにしてしかも強引な分類(五時八教を指す――引用者)をそのまま真理としたのは仕方がないとしても、明治以後の原典批判にすぐれた業績をあげた仏教学の成果を持つ現代という時代の宗教である創価学会が、五時八教をそのまま採用しているようにみえるのはどうしたわけであろう」(「創価学会の哲学的宗教的批判」『梅原猛著作集3』291㌻)。

ちなみに、この梅原の批判は 1964 年になされたものである。その当時は梅原の批判が当たっていた面もあったかもしれないが、今日の創価学会は、先に『法華経の智慧』について述べた通り、既に経典を歴史的釈尊の直説とする立場をとっておらず、「五時」説をもって経典成立の歴史的事実とは捉えていない。2015 年発刊の『教学入門』(創価学会教学部編)では「釈尊が五十年に及ぶ弘教の人生を終えて亡くなった後、釈尊のさまざまな言行が弟子たちによってまとめられていきました。その説であると考えた天台は釈尊の五十年の伝道生活を「華厳時」「阿含時」「方等時」「般若時」「法華涅槃時」の「五時」に配列し、それを経典成立の順序としたが、近代仏教学の知見によれば経典の成立は釈尊の死後数百年にわたるので、今日においては「五時八教」の教判自体が「無茶な話」になっているというものである。

その上で梅原は次のように言う。「文献学の発展しなかった頃の日蓮が、天台智顗の、このみごとにしてしかも強引な分類(五時八教を指す――引用者)をそのまま真理としたのは仕方がないとしても、明治以後の原典批判にすぐれた業績をあげた仏教学の成果を持つ現代という時代の宗教である創価学会が、五時八教をそのまま採用しているようにみえるのはどうしたわけであろう」(「創価学会の哲学的宗教的批判」『梅原猛著作集3』291㌻)。

ちなみに、この梅原の批判は 1964 年になされたものである。その当時は梅原の批判が当たっていた面もあったかもしれないが、今日の創価学会は、先に『法華経の智慧』について述べた通り、既に経典を歴史的釈尊の直説とする立場をとっておらず、「五時」説をもって経典成立の歴史的事実とは捉えていない。2015 年発刊の『教学入門』(創価学会教学部編)では「釈尊が五十年に及ぶ弘教の人生を終えて亡くなった後、釈尊のさまざまな言行が弟子たちによってまとめられていきました。その中で、慈悲と智慧を根幹とする教えが大乗経典として編纂されていきます」(同書 266 ㌻)と、経典が後世の編纂によるとの認識を示している。

五時八教の教判について、筆者は拙著『新版 日蓮の思想と生涯』では次のように述べておいた。
「天台が五時を仏典成立の順序と捉えたのはその時代の限界、制約の故であり、今日においては実際の経典成立の過程として受け入れることはできない。しかし、だからといって、五時八教の教判が全く無意味であるということではない。五時八教は、天台が一切経をどのように捉えていたかという天台の仏教観そのものの表明である。そこには、今日においてなお深く汲み取るべきものがあると思われる。

誰人でも、自分が生きている時代の限界、制約は免れない。人間のみならず万物が歴史的に限定された存在だからである。天台大師に限らず万人にわたって、後の時代の知見から見れば受け入れられないものが生ずるのは当然である。五時八教の教判に時代的限界があるからといって、その全てが無意味、無効であるとするのは、あまりに皮相的な態度であると言わなければならない」(同書 31 頁) 誰もが時代の制約のもとにあるのだから、後世の者が後の時代の知識をもって先人の限界を賢げに指摘しても意味がない(プラトンやアリストテレスが古代的制約のもとにあるからといって、その全てが無意味ということにはならない)。現代の学問も千年後の人間から見れば欠陥だらけのものと映るだろう。

③について宮田氏は、「『折伏教典』では仏滅は今から約三千年前と云い、東京大学法華経研究会編『日蓮正宗創価学会』ではシャカの入滅の事実に関して日蓮説と新しい仏教学者の説の両方をあげ、どちらが良いとも断定していないのである」という梅原の記述を引用し、梅原が「創価学会が仏教学の成果に対して曖昧な態度を採っていることを批判している」とする。 日蓮は、釈尊滅後 2000 年になる永承7年(1052 年)から末法に入るという当時の日本の一般的な認識に従って自身の時代を末法と規定したが、近代仏教学が示す釈尊の入滅年代によれば、日蓮の時代は釈尊の入滅からまだ 2000 年になっておらず、末法ということはできない。この点をどのように考えるかが問題となるが、この点についても創価学会は、仏教学による仏滅年代に従ったとしても、自身の時代を末法とした日蓮の認識には何の問題もないという立場を既に表明している。
すなわち、2002 年発刊の『教学の基礎』(創価学会教学部編)は次のように述べている。

「大聖人がご自身の時代を末法と捉えられたのは、諸説がある仏滅年代や正像末の年数を絶対的な拠り所としたからではありませんでした。正・像・末の年数が仏典によって違うことや、仏滅年代に諸説があることは大聖人もよくご存知でしたから、ご自分が採用された説について絶対的なものとして受け止められていたわけではなかったと拝されます。(中略)

法華経研究会編『日蓮正宗創価学会』ではシャカの入滅の事実に関して日蓮説と新しい仏教学者の説の両方をあげ、どちらが良いとも断定していないのである」という梅原の記述を引用し、梅原が「創価学会が仏教学の成果に対して曖昧な態度を採っていることを批判している」とする。

日蓮は、釈尊滅後 2000 年になる永承7年(1052 年)から末法に入るという当時の日本の一般的な認識に従って自身の時代を末法と規定したが、近代仏教学が示す釈尊の入滅年代によれば、日蓮の時代は釈尊の入滅からまだ 2000 年になっておらず、末法ということはできない。この点をどのように考えるかが問題となるが、この点についても創価学会は、仏教学による仏滅年代に従ったとしても、自身の時代を末法とした日蓮の認識には何の問題もないという立場を既に表明している。 すなわち、2002 年発刊の『教学の基礎』(創価学会教学部編)は次のように述べている。

「大聖人がご自身の時代を末法と捉えられたのは、諸説がある仏滅年代や正像末の年数を絶対的な拠り所としたからではありませんでした。

正・像・末の年数が仏典によって違うことや、仏滅年代に諸説があることは大聖人もよくご存知でしたから、ご自分が採用された説について絶対的なものとして受け止められていたわけではなかったと拝されます。(中略) その上で、当時、定説となっていた仏滅年代九四九年説と正像二千年説を用いて、末法御本仏としての御自身の実践を跡付けられたのです。(中略)大事なことは、『仏滅年代』についていずれの説を採るにしても、大聖人御出現の時代が経文に説かれた通りの末法の様相を呈しており、その時代相のなか、日蓮大聖人が末法御本仏としてのお振る舞いを示され、事の一念三千の御本尊を建立してくださった事実です。以上、近代の学説に基づいた釈尊の入滅年代を用いたとしても、大聖人の末法の捉え方は動きません」(同書 121 ㌻)拙著『新版 日蓮の思想と生涯』では次のように述べておいた。

「今が末法であるとの時代認識は、当然、像法時代の天台大師・伝教大師とは時代を異にしていることを意味している。日蓮は後に『三大秘法抄』において『前代に異なり』と明言しているが、立宗の時点において既に末法に入っているという明確な歴史認識があったればこそ、天台・伝教が行うことのなかった題目の弘通に踏み切ったと推察されるのである。なお、永承七年(一○五二)年に末法に入るという当時の定説は釈尊の入滅が紀元前九四九年であるという『異記周書(しゅうしょいき)』の説と正法・像法を二千年とする説に基づいている。ところが、近代仏教学によれば釈尊の入滅は紀元前四八六年あるいは三八三年(そのほか諸説がある)とされており、正像を二千年とすると日蓮の時代はまだ像法時代となってしまう。

日蓮が自身の時代を末法と規定したのは、単に『周書異記』の説や正像二千年説に盲従したためではない。日蓮は仏滅年代や正像の年数について諸説があることを認識しており(『周書異記』の説について『守護国家論』で『一説なり』〈四六頁〉としている)、そのうえで、時代の状況が大集経が末法の時代を規定した『闘諍言訟・白法隠没』の言葉通りの様相になっていることを洞察して、自身の時代が末法に当たっていると判断したといえよう。 実際に平安時代末期の保元・平治の乱以来、日本国内では戦乱が絶えず、仏教勢力自体も僧兵を蓄えるなど軍事勢力化していた。延暦寺などの大寺院は民衆を救済するどころか逆に宗教的論理を利用して民衆を収奪する権力体となっていた(例えば、寺院への年貢(ねんぐ)を納めない者は仏神の罰を被るという宗教的脅迫を加えた)。

宗教的にも、伝教大師が確立した天台仏教も内部から変質して密教化し、伝教の思想は完全に空洞化していた。そもそも天台仏教の修行法である観念観法の瞑想行も高度な能力のある僧侶だけがなしうるもので、在家の民衆が行えるものではなかった。仏教が隠没していたのは日本だけではない。インドにおいては日蓮が生きた十三世紀にイスラム勢力の侵略によって最後の仏教寺院が破壊され、仏教は完全に滅亡した。 中国においても唐の滅亡後、中国仏教は衰退の過程に入った。教団は経済的・社会的には繁栄したが、度牒(どちょう)(僧であることの証明書)や皇帝から賜る紫衣や師号も売買の対象となり、仏教教団の腐敗が進行していった。民衆に広まったのは仏教としての実体がない浄土教と禅宗のみであり、その上、道教との一体化が進んだ。

女真族(ツングース系民族)の金によって一一二七年に北宋が滅ぼされて以降は、外形的には仏教が行われていても、仏教の内実はほとんど失われた状態になった。このことについて日蓮は、『顕仏未来記』で『漢土に於いて高宗(こうそう)皇帝の時、北狄(ほくてき)、東京(トンキン)(北宋の首都・開封(かいほう)のこと――引用者)を領して今に一百五十余年、仏法・王法ともに尽き了わんぬ』(五〇八㌻)と述べている。
日蓮は、そのような時代状況と既成仏教の限界を深く洞察して、もはや時代は従来の釈尊の仏教によって民衆を救済することができない『末法』に突入していると判断し、末法に相応した新しい仏教を創始することを決意したのである。その意味では、釈尊の入滅年や正像の年数などは些末な問題に過ぎない。日蓮が自身の時代が末法に当たると主体的に判断し、その時代に適った宗教を確立し弘通することを決断したことこそが重要なのである」(同書 36 ㌻)。

以上、宮田氏が提起した近代仏教学との関連の問題を見てきたが、創価学会の教義が近代仏教学の知見と矛盾しているとの批判は、今日ではほとんど有効性を持っていないといえるだろう。

(4)日蓮本仏論

今回の宮田論文の重要なテーマは日蓮本仏論と思われる。氏は「今回の会則改正は表面的には、単に『一閻浮提総与の大御本尊』を受持の対象から外しただけで日蓮本仏論を継承しているという点で、まだ日蓮正宗の影響が残っていると一般には思われているようだ」と述べていることから、一般論の形を借りながら、創価学会が日蓮本仏論を継承していることは日蓮正宗の影響の残滓であるという認識を持っているようである。氏は「新しい日蓮本仏論を構築する必要がある」とも述べているが、氏がこれまで発表してきた他の論文を見るかぎり、氏は日蓮本仏論を脱却して釈迦本仏論を目指す志向性を持っているように見受けられる。

①日蓮本仏論はカルトの理由となるか

例えば論文「SGI 各国の HP の教義紹介の差異について」で、宮田氏は「私は『日有の教学思想の諸問題』において、日蓮本仏論に関して、必ずしも創価学会が採用する必要がないことを、学問的理由と海外布教という2つの理由から述べた」と日蓮本仏論不採用の立場を明確にしている。まず海外布教の面について、氏は同論文で次のように述べている。

「日本国内においては、日蓮正宗は700年の歴史があり、日蓮本仏論を主張してもカルト団体とは社会的に認定されないが、世界の仏教全体の中で、釈尊以外の歴史上の人物を釈尊より上位の仏として主張することは、他の仏教宗派から、さらには諸外国の仏教諸派が加盟する仏教協会からは仏教的主張とは見なされず、そのことが社会的に SGI を非仏教団体と認定する根拠となるだろう。大日如来や阿弥陀如来は歴史上の仏ではないから、それらを本仏とする仏教宗派はさほど問題されることもなく、またダライ・ラマが観音菩薩の化身であるという信仰は、まだ釈尊より下位の菩薩であるから許容範囲である。しかし日蓮は歴史上の人物であり、日蓮本仏論はその日蓮を釈尊より上位の仏として主張することであるから、海外の SGI の運動を
カルト批判という脅威にさらす可能性がある」

日蓮本仏論を唱えることがそのままカルトと認定される危険に結びつくという論旨には同意しがたい。現在、日本の創価学会は、「会則」や「御祈念文」に明らかなように、日蓮が末法の本仏であるとの教義を堅持しており、世界各国の SGI 組織も日本の創価学会と異なる教義を唱えているわけではない。それにもかかわらず、どこかの国の SGI 組織が日蓮本仏論を掲げているという理由でカルトに指定されたという実例はない(フランス政府がフランス SGI をカルト指定しているのは別の理由による)。また、ある国の仏教協会が、日蓮本仏論を理由にして SGI を非仏教団体と認定した具体例もないのではなかろうか。

後に述べるように、日蓮本仏論は日蓮自身が言明し、日興門流から今日の創価学会にまで継承されてきた日蓮仏法の根本教義である。その教義を唱えることだけを理由にして、社会的に定着している宗教組織を直ちにカルトに指定するような粗暴な決定を行うことは、「信教の自由」を保障している近代国家では通常考えられないのではなかろうか。万一、特定の政府や団体が日蓮本仏論の教義がカルトに当たるとの批判を加えてきた場合には、粘り強くそれに反論し、説得していけばよいだけのことである。実際には起きてもいないカルト批判を恐れて自己の核心的教義を捨て去ることは、教団として宗教的自殺にも等しい誤りと言わなければならない。

日蓮本仏論とは、基本的には釈迦仏を正像時代の本仏とし、日蓮を末法の本仏とする立場であるが、それは決して釈尊を貶めるものではない。万民を等しく救済しようとした釈尊の精神は、経典としては一切衆生の成仏を説いた法華経に体現されていると日蓮は洞察した。そして、その法華経の精神は、中国・日本においては天台大師、伝教大師に継承され、末法においては日蓮がそれを受け継いでいる――。日蓮が「顕仏未来記」で表明した「三国四師」とは、釈尊――天台――伝教――日蓮という系譜にこそ仏教の本流が流れ通っているとの宣言に他ならない。

根源の法を覚知した仏の悟りにおいては釈尊も日蓮も同一であり(おそらくは天台も伝教も)、それぞれの時代や社会状況に応じて説かれた教法の相違があるに過ぎないからである。日蓮仏法が仏教本来の思想を継承していることを世界に向けて明確に強にまで継承されてきた日蓮仏法の根本教義である。その教義を唱えることだけを理由にして、社会的に定着している宗教組織を直ちにカルトに指定するような粗暴な決定を行うことは、「信教の自由」を保障している近代国家では通常考えられないのではなかろうか。万一、特定の政府や団体が日蓮本仏論の教義がカルトに当たるとの批判を加えてきた場合には、粘り強くそれに反論し、説得していけばよいだけのことである。実際には起きてもいないカルト批判を恐れて自己の核心的教義を捨て去ることは、教団として宗教的自殺にも等しい誤りと言わなければならない。

日蓮本仏論とは、基本的には釈迦仏を正像時代の本仏とし、日蓮を末法の本仏とする立場であるが、それは決して釈尊を貶めるものではない。万民を等しく救済しようとした釈尊の精神は、経典としては一切衆生の成仏を説いた法華経に体現されていると日蓮は洞察した。そして、その法華経の精神は、中国・日本においては天台大師、伝教大師に継承され、末法においては日蓮がそれを受け継いでいる――。日蓮が「顕仏未来記」で表明した「三国四師」とは、釈尊――天台――伝教――日蓮という系譜にこそ仏教の本流が流れ通っているとの宣言に他ならない。

根源の法を覚知した仏の悟りにおいては釈尊も日蓮も同一であり(おそらくは天台も伝教も)、それぞれの時代や社会状況に応じて説かれた教法の相違があるに過ぎないからである。日蓮仏法が仏教本来の思想を継承していることを世界に向けて明確に強調していくならば、SGI に対してカルトとの批判が生ずることはほとんどないであろう。

あらゆる仏の教えにも正法・像法・末法という時の区分があるということは仏教一般の通規である。全ての仏の教えもそれぞれの時代に対応したものであるから、初めは有効であっても(正法時代)、時代の変化とともに次第に形骸化し(像法時代)、やがて衆生を救済する力が全く喪失する時代(末法)が到来する。それは釈迦仏も例外ではない。法華経を含めて多くの経典で悪世末法の到来が説かれる所以(ゆえん)である。世界に仏は釈迦仏一仏しか存在しないとする小乗仏教に対し、宇宙には無数の仏が存在するというのが大乗仏教の世界観である。従って、ある仏の教えが有効性を失った時には別の仏によって衆生が救済される道理となる。
実際に法華経方便品では、「未来仏章」で未来には無数の仏が出現すると説き、釈迦仏の滅後、眼前に仏を見ることができずに人々が法を信ずることができない時代には人々は他の仏に出会うことによって法を信じることができると説いている(創価学会版法華経 125 ㌻)。「つまり、法華経は釈迦仏だけを教主とする立場をとらず、未来には他の仏によって衆生が救済されていくことを想定している。(中略)そこから後の神力品で展開される『教主の交代』という思想が生まれてくると解せられる」(拙著『新法華経論』54 ㌻)。従って、釈迦仏法によって衆生を救済できない時代においては釈迦仏に代わって新たな教主が出現するということは法華経自体が想定していたことで

あり、何も奇異な思想ではない。その意味でも、日蓮本仏論がカルトとされる危険を招くという意見は見当外れというべきであろう。

②日蓮自身による日蓮本仏論

宮田氏は、また次のように言う。
「日蓮本仏論が日蓮自身の重要な主張であるならば、弾圧覚悟でその主張を維持することが、宗教的使命であると思うが、日蓮自身の真蹟遺文や信頼できる直弟子写本にも、そのような思想の形跡が見られないのであれば、そのような後代に派生したと思われる教義のために弾圧を受けるのは、世界広宣流布のためには障害にしかならない」(SGI 各国のHP の教義紹介の差異について)氏は日蓮本仏論の形跡が日蓮自身の真蹟遺文にも信頼できる直弟子写本にも見られないと断じているが、そのような認識はあまりにも杜撰(ずさん)であり、明らかな誤りである。むしろ、日蓮の真蹟や直弟子写本がある御書において日蓮本仏義を明確にうかがうことのできる文はいくつも挙げることができる。まず、日蓮が自身を主師親の三徳を具える存在であると宣言している文が真蹟遺文に複数存在する。

日蓮の真蹟の大部分が存在し、日興と日大(日興の孫弟子)の写本がある「撰時抄」には「日蓮は当帝の父母・念仏者・禅衆・真言師等が師範なり又(また)主君なり、而(しか)るを上一人より下万民にいたるまであだをなすをば日月いかでか彼等が頂を照し給うべき地神いかでか彼等の足を戴き給うべき」(御書 256 ㌻)の文がある。また真蹟の断簡が各地に所蔵されている「谷一(いちのさわ)入道御書」には「日蓮は日本国の人人の父母ぞかし・主君ぞかし・明師ぞかし・是を背(そむか)ん事よ」(同 1330 ㌻)と述べられている。
これらは、主師親の三徳全てを日蓮自身が具えることを明示した文であるが、主師親の個々の徳を具えることを示した文は、「真言諸宗違目」(真蹟 11 紙完存)の「日蓮は日本国の人の為には賢父なり聖親なり導師なり」(同 140 ㌻)の文や、真蹟がかつて存在していたことが明確になっている「王舎城事」の「かう申すは国主の父母・一切衆生の師匠なり」(同 1137 ㌻)の文など、いくつかの諸文を見ることができる。
日蓮は主師親の三徳を具える存在こそが仏であるとの認識に立っていた。そのことは真蹟 15 紙が完存する「一代五時鶏図」に章安大師の「涅槃経疏」の文を引いて「一体の仏主師親と作(な)る」(同 629 ㌻)と述べていることにも明らかである。

主師親の三徳を仏の特質とすることは「涅槃経疏」に次のように明示されている。「但歎三号者欲明三事。初歎如来。允同諸仏生其尊仰。是為世父。応供者。是上福田能生善業。是為世主。正遍知者。能破疑滞生其智解。是為世師。故下文云。我等従今無主無親無所宗仰(云云)」(大正蔵 38 巻 45 ㌻)このように主師親の三徳の観点から見ても、日蓮が自身を仏(教主)として自覚していたことが分かる。

次に、主師親の三徳の文脈を離れた観点からも、日蓮自身に日蓮本仏論があることをうかがわせる文は少なくない。その一端を挙げるならば、例えば「撰時抄」に「提婆達多は釈尊の御身に血をいだししかども臨終の時には南無と唱えたりき、仏とだに申したりしかば地獄には堕つべからざりしを業ふかくして但(ただ)南無とのみとなへて仏とはいはず、今日本国の高僧等も南無日蓮聖人ととなえんとすとも南無計りにてやあらんずらんふびんふびん」(同 297 ㌻)の文がある。「南無日蓮聖人」の言葉は日蓮自身を南無(帰命)の対象、すなわち人本尊と規定している明文である。その直後には「外典に曰く未萠(みぼう)をしるを聖人という内典に云く三世を知るを聖人という余に三度のかうみよう(高名)あり」として、三回にわたる予言的中の事実をもって日蓮が「聖人」であることを知るべきであるとする。「聖人」とは言うまでもなく仏の別称である。つまり、この文も日蓮が仏であることの宣言になっている。「撰時抄」に、自身を「日本第一の大人(だいにん)」「一閻浮提第一の智人」とすることについて、「現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳なりけるか」(同 289 ㌻)と述べていることも日蓮自身による日蓮本仏論の表明と解することができよう。

また、「大導師」「大聖人」の呼称については、日興の写本がある「頼基陳状」には「五五百歳の大導師」(同 1157 ㌻)とあり、真蹟の断簡が現存し、日興の写本がある「兵衛志殿御書」には「代(よ)末になりて仏法あながちに・みだれば大聖人世に出ずべしと見へて候」(同 1095 ㌻)とある。さらに、真蹟の断簡が各地にあり、かつては 18 紙の真蹟が存在していた記録が残っている「法蓮抄」には「当に知るべし此の国に大聖人有りと、又知るべし彼の聖人を国主信ぜずと云う事を」(同 1053 ㌻)と述べられている。「大導師」「大聖人」は仏を指す言葉であるから、これらの文も日蓮自身が末法の教主(本仏)であるとの自己認識に立っていたことをうかがわせるものになっている。さらに明確なのは、熱原法難の際に日蓮が迫害の当事者である日弁・日秀に代わって執筆した「滝泉寺申状」の文である。本抄は、行智側の訴状に対抗して北条得宗家公文所(くもんじょ)に提出すべく、日興の弟子である日秀・日弁の名で作成された陳状(答弁書)である。

書名には「申状」とあるが、実際には訴状に対抗して作成された「陳状」である。前半は日蓮自身が執筆し、後半は富木常忍の執筆による(真蹟 11 紙並びに冒頭別紙 2 行完存)。本抄は、日秀・日弁という弟子が公の機関に宛てて提出する公文書の文案である。それを日蓮が執筆したということは、日蓮自身による日蓮の客観的な位置づけが示されているということになる。このように本抄は、日蓮の対外的な「自己認識」が明示されているという意味で重要な意義を持つ。普通の書簡の場合、そこには書簡の相手の仏法理解の程度に応じた配慮が必要となるが、本抄は公文書であるため、そのような配慮は必要ではない。また、日蓮自身の名前で執筆する場合、自身についてしばしば謙譲の表現が見られるが、本抄は孫弟子である日弁・日秀の名前で当局に提出する文書であるから、謙譲の表現をとる必要もない。その意味で、一般の御書とは異なって、「滝泉寺申状」にはさまざまな配慮を省いた日蓮自身の真意が現れていると見ることができる。

すなわち、本抄の日蓮真筆部分には「本師は豈(あに)聖人なるかな」(同 850 ㌻)、「法主聖人・時を知り国を知り法を知り機を知り君の為(ため)臣の為(ため)神の為(ため)仏の為(ため)災難を対治せらる可きの由・勘え申す」(同㌻)の文がある。日蓮が自身について「法主」と明言している意義は重大である。「法主」とは、中阿含経に「世尊を法主となす」とある通り、本来、万人を救済する法を教示する仏、教主を指す言葉であるから、日蓮が自身を末法の教主(本仏)と明確に自覚していたことを示す文証といえよう。

③日蓮が末法の教主(本仏)である所以(ゆえん)

日蓮が自身を末法の教主(本仏)であると宣言できた所以は何か。それは、日蓮こそが末法の万人を救済する南無妙法蓮華経の大法を初めて一切衆生に対して教示し、弘通した主体者だからである。実際に日蓮以外に南無妙法蓮華経の唱題を人々に教え、南無妙法蓮華経を文字曼荼羅に顕して万人が礼拝する本尊として授与した存在はない。まさに日蓮を離れて南無妙法蓮華経の仏法は存在しない。「報恩抄」に「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(同 329 ㌻)とあるように、南無妙法蓮華経の仏法の淵源はあくまでも日蓮にあるのであり、「釈尊が慈悲曠大ならば」となっていないことに留意しなければならない。日蓮が南無妙法蓮華経を初めて弘通した教主であることについては「撰時抄」に「南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし、此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや」(同 266 ㌻)と述べられている。

釈迦仏は文上の法華経の教主であっても南無妙法蓮華経を説いてはいないので、南無妙法蓮華経の教主にはならない(さらに言えば、久遠実成の釈迦仏といっても所詮は法華経制作者が創造した観念に過ぎず、いつ、どこに出現したという具体性を持たない架空の存在でしかない。その意味では阿弥陀如来、大日如来、薬師如来などと同列である。「諸法実相抄」で「釈迦・多宝の二仏と云うも用(ゆう)の仏なり。(中略)仏は用の三身にして迹仏なり」〈同 1358 ㌻〉として釈迦仏をも迹仏であると断じている所以である)。日興の写本がある「上野殿御返事」(末法要法御書)に「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但(ただ)南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候も・わたくし(私)の計(はからい) にはあらず、釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計なり、此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば・ゆゆしきひが事なり」(同 1546 ㌻)とあるように、釈迦仏法の救済力が失われた末法においては文上の法華経をいかに行じても何の力にもならない。南無妙法蓮華経のみが末法の衆生を成仏せしめる要法となるのである。

ただし、宮田氏は、この「かう申し出だして候も・わたくしの計にはあらず、釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計なり」の文について、「この主張(「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」という日蓮の主張――引用者)の根拠を『法華経』に求めている」(漆畑正善論文「創価大学教授・宮田幸一の『日有の教学思想の諸問題』を破折せよ」を検討する)と述べているが、それは誤解であろう。南無妙法蓮華経だけが衆生を救済できる大法であるという日蓮の主張は、文上の法華経を根拠にして(法華経に依存して)初めて成立するものではない。いわば、法華経があろうとなかろうと成立する永遠普遍の真理である。その真理は日蓮が勝手に主張しているものではなく、文上の法華経も承認するところであるというのがこの文の趣旨に他ならない。

日蓮は文上の法華経を学び修行して妙法を悟ったのではない。「寂日房御書」に「日蓮となのる事自(じ)解仏乗(げぶつじょう)とも云いつべし」(同 903 ㌻)とあるように、日蓮は法華経などの経典や他者の教示によって悟達したのではなく、自ら根源の妙法を体得したのである。このことは真蹟断簡が現存する「善無畏三蔵抄」に「幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと云云、虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき、其のしるしにや日本国の八宗並びに禅宗・念仏宗等の大綱・粗(ほぼ)伺ひ侍りぬ」(同 888)とあり、また真蹟がかつて存在していた「清澄寺大衆中」に「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき、日本第一の智者となし給へと申せし事を不便(ふびん)とや思(おぼ)し食(め)しけん明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし」(同 893 ㌻)とあることからも明らかである(虚空蔵菩薩とは大宇宙〈虚空蔵〉を貫く智慧の人格的表現であるから、日蓮己心の虚空蔵菩薩というべきであろう)。

④日蓮が釈迦仏を宣揚した理由

以上述べてきたように、日蓮は自身が末法の教主(本仏)であることを明言する一方で、御書の随所において「教主釈尊」と釈迦仏を宣揚し、時には「此の日本国は釈迦仏の御領なり」(同 1449 ㌻)とまで述べている。この点はどのように考えるべきであろうか。端的に言えば、浄土教(念仏)や密教が大きな力を持っていた当時、ともすれば阿弥陀如来や大日如来などへ傾斜しがちな人々の心を釈迦如来に引き戻すことによって、法華経が文底において暗示している妙法(南無妙法蓮華経)を弘通しようとした化導上の方便、戦略として理解すべきであろう。

この点は、経典の次元において、日蓮が他の経典に対して法華経の卓越性を繰り返し強調したことと同じ意義と考えられる。日蓮の化導においては南無妙法蓮華経を弘通することによって一切衆生を成仏へ導くことが本来の目的であり、文上の法華経を弘通することは目的ではない(法華経を最勝の経典として宣揚し、弘通することは天台や伝教が既になしたことであり、日蓮は天台・伝教と同じことを行おうとしたのではない)。文上の法華経は衆生を救済する力を喪失しており、池田大作創価学会名誉会長が「二十八品は、三大秘法の仏法の序分として流通分として用いるのである」(旧版『創価学会版 妙法蓮華経並開結』序文)と述べているように、文上の法華経はあくまでも南無妙法蓮華経を弘通するための序分・流通分として用いるに過ぎない。
この点について、大石寺第 65 世日淳は次のように述べている。「けつして聖人の御主意は法華経そのものを御弘通なさるものではない。(中略)聖人が法華経を最第一として此の経を押し立てられたのは、一には諸宗の謗法を破する

迦仏の御領なり」(同 1449 ㌻)とまで述べている。この点はどのように考えるべきであろうか。端的に言えば、浄土教(念仏)や密教が大きな力を持っていた当時、ともすれば阿弥陀如来や大日如来などへ傾斜しがちな人々の心を釈迦如来に引き戻すことによって、法華経が文底において暗示している妙法(南無妙法蓮華経)を弘通しようとした化導上の方便、戦略として理解すべきであろう。

この点は、経典の次元において、日蓮が他の経典に対して法華経の卓越性を繰り返し強調したことと同じ意義と考えられる。日蓮の化導においては南無妙法蓮華経を弘通することによって一切衆生を成仏へ導くことが本来の目的であり、文上の法華経を弘通することは目的ではない(法華経を最勝の経典として宣揚し、弘通することは天台や伝教が既になしたことであり、日蓮は天台・伝教と同じことを行おうとしたのではない)。文上の法華経は衆生を救済する力を喪失しており、池田大作創価学会名誉会長が「二十八品は、三大秘法の仏法の序分として流通分として用いるのである」(旧版『創価学会版 妙法蓮華経並開結』序文)と述べているように、文上の法華経はあくまでも南無妙法蓮華経を弘通するための序分・流通分として用いるに過ぎない。
この点について、大石寺第 65 世日淳は次のように述べている。

「けつして聖人の御主意は法華経そのものを御弘通なさるものではない。(中略)聖人が法華経を最第一として此の経を押し立てられたのは、一には諸宗の謗法を破する順序からと、一には此の経がその権威を現はしてこそ初めて末法に上行菩薩と三大秘法とが出現する因縁が明らかになるからである」(『日淳上人全集』888 ㌻)。日蓮が南無妙法蓮華経を弘通するためには、その前提として念仏や真言密教などの諸宗を破折していく実践が必要であった。そのための不可欠の前提として法華経の最勝性を強調したのである。法華経を宣揚したのと同様に、日蓮は釈迦仏を宣揚することによって阿弥陀や大日などの諸宗の教主を退けたといえよう。五重の相対の視点から言えば、南無妙法蓮華経が万人を救済する根源の法であり、日蓮がその妙法を弘通する教主であるという種脱相対の次元の理解を当時の民衆に直ちに求めることは困難であった。そこで日蓮は、その奥底の教理に人々を導くための前提ないしは手段として、権実相対、本迹相対に当たる内容を繰り返し説かなければならなかった。法華経ならびに釈迦仏の宣揚は、その意味において理解すべきである。

⑤曼荼羅本尊の相貌に表れる日蓮の真意

個々の門下を化導するための配慮、方便として、日蓮は釈迦仏を「教主釈尊」と宣揚したが、日蓮の真意は曼荼羅本尊の相貌に明瞭に表れている。日蓮の思想を知るためには文献を検討するだけでは不十分で、日蓮が図顕した曼荼羅本尊まで考察しなければならない。本尊には個々人に対する配慮を超えた日蓮の教義の真髄が示されているからである。日蓮が初めて曼荼羅本尊を図顕したのは竜の口の法難における「発迹顕本」の後、佐渡に護送される前日である。この初めての曼荼羅本尊について拙著『新版 日蓮の思想と生涯』で次のように述べた。

「日蓮は、佐渡流罪の処分が最終的に確定した後、佐渡に向けて出発する前日の文永八年十月九日に初めて文字曼荼羅を図顕している。この曼荼羅は、身辺に筆がなかったためか『楊枝(ようじ)』で記されており(当時は柳などの木の枝の一端をかみ砕いてブラシ状にし、口中の汚れを取るのに用いた。これを房(ふさ)楊枝と呼ぶ)、そのため『楊枝本尊』と称される(京都・立本寺蔵)。中央に『南無妙法蓮華経』の首題が大書され、その向かって左に『日蓮(花押)』の名が示されている。左右の肩に梵字で不動明王と愛染明王が記されているが、釈迦牟尼仏・多宝如来を含めて後の曼荼羅に記されている十界の諸尊も四大天王も一切書かれていない。もっとも簡略な形の曼荼羅である。しかし『文永八年太歳辛未十月九日』『相州本間依智郷  書之』と、日付および図顕の地が明記されている。楊枝本尊はもっとも簡略な形の曼荼羅であるため、その相貌には日蓮図顕の曼荼羅の本質が表れている。すなわちこの最初の文字曼荼羅の相貌は、文字曼荼羅の本質的要素が南無妙法蓮華経と日蓮花押にあり、釈迦・多宝の二仏は略されてもよい派生的なものであることを物語っている」
(同書 207 ㌻)

釈迦・多宝の二仏を略した曼荼羅は現存する日蓮真筆の曼荼羅でも 5 幅を数え、その中には弘安年間に図顕されたものもある(松本佐一郎『富士門徒の沿革と教義』227 ㌻)。日興の書写本尊にも二仏を略したものが存在する。日蓮図顕の曼荼羅本尊において常に「南無妙法蓮華経 日蓮(花押)」と大書され(これが欠けた曼荼羅は一例もない)、一方では釈迦・多宝が略される場合があるという事実は、日蓮こそが南無妙法蓮華経と一体の本仏(教主)であることを示しており、それが日蓮の真意であると解すべきである。もしも日蓮が奥底の真意において釈迦本仏義に立っていたならば、曼荼羅の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」と書かずに「南無釈迦牟尼仏」としたためるか、もしくは釈迦・多宝の二仏を並べる形になっているはずであろう。実際には 1 幅としてそのような形の曼荼羅がないところに日蓮が釈迦本仏義をとっていないことが表れている。

⑥天台大師が示す教主交代の思想

先に、釈迦仏法の救済力が失われた場合には釈迦仏以外の仏によって衆生が救済されるという思想が法華経の中にあるということを述べたが、天台大師の中にも教主交代の思想がある。それを端的に示すのが『法華文句』の中で釈迦仏と不軽菩薩の化導の在り方の相違を論じた次の文である。

「問う。釈迦は出世して踟蹰(ちちゅう)して説かず。常不軽は一たび見て次造(ぞうじ)にして言うは何ぞや。答う。本已(すで)に善有るは、釈迦、小をもってこれを将護し、本未だ善有らざるは、不軽、大をもってこれを毒強(ごうどく)す」(国訳一切経 461 ㌻)
〈現代語訳 問う。釈迦は世に出ても、ためらって法を説かなかったが、常不軽菩薩は人をひとたび見ると、間を置かずに法を説いた。その相違にどのような意味があるのか。答える。釈迦は本から善根をもっている衆生に対し小さな教えを説いて、彼らの善根を損なわないように擁護したのに対し、不軽菩薩は本から善根をもたない衆生に対し大いなる教えを説いて、強いて逆縁によって彼らを導いたのである〉ここでは釈迦仏が、本から善根をもっている(本已(ほんい)有善(うぜん))衆生に対し、彼らに正法を誹謗させてその善根を破壊させないように配慮しながら、順縁の方式によって小さい教えを説いたのに対し、不軽菩薩は本から善根をもっていない(未有善本(ほんみうぜん))衆生に対し、彼らが正法誹謗の罪を犯すことを恐れず、むしろ彼らに謗法の罪を犯させることで正法に縁を付けていく逆縁の方式によって衆生を化導したと説かれている。それを整理すれば、次のようになる。釈迦――本已有善――順縁――小法   不軽――本未有善――逆縁――大法

天台大師によれば、釈迦仏の化導は、本から善根をもっている衆生に対して行うものであり、初めから善根をもっていない衆生に対しては有効性をもたない。そのような衆生に対しては、不軽菩薩のように、より偉大な法を直ちに説いて逆縁によって救済する以外にない。つまり、仏法の化導法には釈迦仏が行った順縁の方式と不軽が行った逆縁の方式の二つがあり、前者が無効になった時代には後者を用いなければならないということである。そのことを教主の視点から言えば、釈迦仏の化導が無効になった時代には不軽に当たる存在が釈迦仏に代わってその時代の教主となるという「教主交代」の原理がそこに示されている(不軽菩薩は釈迦仏の成道以前の修行時代の名前と説かれるが、日蓮が「釈尊我が因位の所行を引き載せて末法の始を勧励したもう」〈御書 1371 ㌻〉と述べているように、釈迦仏の過去世の姿という形を借りて実際には未来に出現する法華経の行者の実践を示すものになっている)。

本已有善の衆生が尽きて本未有善の衆生だけになった時代とは釈迦仏法の救済力が失われた末法に他ならない。日蓮は、この『法華文句』の文を引いて、真蹟が完存している「曾谷入道殿許(もと)御書」で次のように述べている。「今は既に末法に入つて在世の結縁の者は漸漸に衰微して権実の二機皆悉く尽きぬ彼の不軽菩薩末世に出現して毒鼓(どっく)を撃たしむるの時なり」(御書 1027 ㌻)日蓮は佐渡流罪以降、自身と不軽菩薩との一致を強調した。例えば、かつて真蹟が存在していたことが明らかである「顕仏未来記」には次のように記されている。「例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我(が)深敬(じんきょう)等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊(こと)なりと雖(いえど)も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり」(同 507 ㌻)

日蓮が自身と不軽の一致を強調するのは、日蓮が不軽菩薩と同じ逆縁の方式をもって本未有善の衆生を救済していく末法の教主であるとの確信に立っていたことを示している。このように解するならば、「曾谷入道殿許御書」「顕仏未来記」は、両者あいまって日蓮の中に日蓮本仏論があることを示す文献ということができる。
この両抄は、それぞれ単独でも日蓮本仏論をうかがうことのできる内容がある。「顕仏未来記」では正嘉の大地震などの天変地夭が仏陀釈尊の生滅の時に現れた瑞相に匹敵するものであるとし、「当に知るべし仏の如き聖人生れたまわんか」(同 508 ㌻)と、日蓮が聖人(仏)であることを示唆している。また「曾谷入道殿許御書」には「予 倩(つらつら) 事の情(こころ)を案ずるに大師(伝教大師のこと――引用者)薬王菩薩として霊山会上(りょうぜんえじょう)に侍(じ)して仏・上行菩薩出現の時を兼ねて之を記したもう故に粗(ほぼ)之を喩(さと)すか、而るに予(よ)地涌の一分に非ざれども兼ねて此の事を知る故に地涌の大士に立前(さきだ)

存在していたことが明らかである「顕仏未来記」には次のように記されている。「例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我(が)深敬(じんきょう)等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊(こと)なりと雖(いえど)も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり」(同 507 ㌻)
日蓮が自身と不軽の一致を強調するのは、日蓮が不軽菩薩と同じ逆縁の方式をもって本未有善の衆生を救済していく末法の教主であるとの確信に立っていたことを示している。このように解するならば、「曾谷入道殿許御書」「顕仏未来記」は、両者あいまって日蓮の中に日蓮本仏論があることを示す文献ということができる。
この両抄は、それぞれ単独でも日蓮本仏論をうかがうことのできる内容がある。「顕仏未来記」では正嘉の大地震などの天変地夭が仏陀釈尊の生滅の時に現れた瑞相に匹敵するものであるとし、「当に知るべし仏の如き聖人生れたまわんか」(同 508 ㌻)と、日蓮が聖人(仏)であることを示唆している。また「曾谷入道殿許御書」には「予 倩(つらつら) 事の情(こころ)を案ずるに大師(伝教大師のこと――引用者)薬王菩薩として霊山会上(りょうぜんえじょう)に侍(じ)して仏・上行菩薩出現の時を兼ねて之を記したもう故に粗(ほぼ)之を喩(さと)すか、而るに予(よ)地涌の一分に非ざれども兼ねて此の事を知る故に地涌の大士に立前(さきだ)ちて粗(ほぼ)五字を示す」(同 1038 ㌻)と末法の教主が上行菩薩であることを示し、謙遜の表現ながらも日蓮が妙法五字を弘通する教主であることを明かしている。

天台大師が釈迦仏に代わる新しい仏の出現を予見した文は、先に引いた釈迦と不軽を対比した文だけではない。法華経宝塔品で、釈迦・多宝の二仏が宝塔の中で並座したと説かれることについて、天台は『法華文句』で「前仏已(すで)に居し、今仏並びに座す。当仏もまた然(しか)なりと」(国訳一切経 359 ㌻)と述べている。「前仏」とは多宝如来であり、「今仏」とは釈迦牟尼仏である。天台は、多宝・釈迦と並んで未来の仏(当仏)も宝塔の中に座るというのである。すなわち天台は久遠実成の釈迦仏も永遠不滅の存在と捉えず、未来には新たな仏が出現することを予言している。実際に法華経は、寿量品で釈迦仏の五百塵点劫の成道を説きながら、次の分別功徳品ではその釈迦仏も永遠不滅の存在ではなく、仏の「滅後」があることを強調し、「悪世末法」の到来を説いている。天台の洞察は、この分別功徳品の趣旨にも合致していることが理解できよう。
この『法華文句』の文は日蓮が「御義口伝」で宝塔品を論じた冒頭に引用している文である(宮田氏は「御義口伝」「御講聞書」を後世の偽作として全面的に排除する立場に立っているが、それは適切とは思われない。「御義口伝」「御講聞書」は日蓮の思想をうかがうための重要資料として用いるべきである)。

周知のように、日蓮は釈迦・多宝の二仏が並座する虚空会の様相を用いて曼荼羅本尊を図顕したが、先の『法華文句』の文を曼荼羅本尊の相貌に当てはめるならば、釈迦・多宝と同様に宝塔の中に座る「当仏」(未来の仏)とは二仏の間の中央に大書される「南無妙法蓮華経 日蓮」に他ならない。その相貌は釈迦・多宝が「南無妙法蓮華経 日蓮」の脇士になることを意味している(このことは「報恩抄」に「所謂(いわゆる)宝塔の内の釈迦多宝・外(そのほか)の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」〈御書 328 ㌻〉と述べられている)。

⑦仏教の東漸と西還――仏教交代の原理

日蓮は正像に仏教がインドから中国・日本へと東漸したことに対し、末法には仏教が日本からインドへと西還することを強調した。例えば「顕仏未来記」には次のように説かれている。「月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く」(同 508 ㌻)「後五百歳の始(はじめ)に相当れり仏法必ず東土の日本より出づべきなり」(同㌻)また、「諫暁八幡抄」の真蹟部分には次のようにある。

「天竺国をば氏月(がっし)国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑(ふそう)国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治(じ)し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり」(同588 ㌻)

この両抄において日蓮は、正法・像法時代にインドから出て日本に伝わった仏教を月に譬え、末法に日本からインドに還っていく仏教を太陽に譬えて、末法出現の仏教の力用が正像の仏教に勝るとしている。正像に西から東に伝わった釈迦仏法が正法誹謗の者を救えなかったのに対し、末法の日本に出現した仏法は不軽菩薩が逆縁をもって衆生を利益した原理に基づき、正法誹謗の強敵をも救済する力用を具えることを明示する。

末法の日本に出現してインドに西還していく仏教とは日蓮が確立した仏教に他ならない。すなわち日蓮は、自身が確立し未来に弘通する仏教が従来の釈迦仏教を踏まえながらもそれを超越した新たな仏教であることを明らかにしたのである。釈迦仏法から日蓮仏法への転換、交代がここに明確に示されている。「あに聖人出で給わざらむ」との言葉は、末法万年の闇を照らす仏教を創始した日蓮こそ末法の本仏(教主)であるとの宣言と解することができる。

⑧上行への付嘱の意味――教主交代の思想

法華経は従地涌出品第 15 において釈迦仏の滅後に法華経を弘通する主体者として六万恒河沙の地涌の菩薩を出現せしめ、神力品第 21 において地涌の菩薩、なかんずくその上首である上行菩薩に仏滅後に法華経を弘通する使命を付嘱した。すなわち、法華経は釈迦仏の滅後に仏法弘通の使命を担う地涌の菩薩の出現を予言した経典である。ただし、神力品で釈迦仏が地涌の菩薩に弘通の使命を託した法体は文上の法華経ではなく、文底において暗々裏に指し示した根源の妙法と解すべきである。この根拠について、筆者は拙著『新法華経論』で次のように述べた。

「この裏付けとして、神力品の偈において『秘要』の言葉が用いられていることが挙げられよう。神力品の偈では次のように説かれる。『諸仏が道場に座って得た秘要の法を、この経を受持する者は、わずかの間に得ることだろう』と。諸仏が得たのは『秘要の法』であり、それを『この経(=法華経)』を受持することによって得ることができるというのである。すなわち、テキストとしての『この経(法華経)』と『秘要の法』は同一ではない。法華経を通して秘要の法に至るのである。ここでいう『この経』とは、法華経の文上の言葉において示された内容である。『秘要の法』とはその文

上の内容が暗々裏に指し示した隠された秘密の法であり(文によって明示的に示されていないという意味で『文底』である)、羅什が経典の題号に示した『妙法』に他ならない。あらゆる仏はその妙法を得ることによって仏と成ったのであり、まさにこの秘要の法(=妙法)こそ、あらゆる仏を仏ならしめた根源の存在である。神力品は、寿量品と同様に、文上・文底という二重構造の存在を明かしているのである」(同書 329 ㌻)
法華経は、法華経自体が人々を救済する力を喪失した末法に根源の妙法を弘通する無数の地涌の菩薩が出現することを予見し、そのことによって地涌の菩薩の弘通を助けようとしたのである。この神力品の予言に応えて末法に妙法を弘通した存在こそ日蓮に他ならない。すなわち、法華経は末法における日蓮の出現を予言したところにその意義がある。この点について日蓮は「法華取要抄」で法華経は誰のために説かれたのかという問題を提起し、「寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為(ため)なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり」(御書 334 ㌻)、「疑つて云く多宝の証明・十方の助舌・地涌の涌出此(これ)等(ら)は誰人の為ぞや、答えて曰く(中略)此等の経文を以て之を案ずるに偏(ひとえ)に我等が為なり」(同㌻)と述べている。
事実の上で日蓮以外に妙法を弘通した存在はいないのであるから、日蓮が上行菩薩の再誕に当たるとの認識は広く日蓮在世の門下にもあったと考えられる。日興の写本がある「頼基陳状」に「日蓮聖人の御房は三界の主・一切衆生の父母・釈迦如来の御

使・上行菩薩にて御坐(おわし)候ける」(同 1161 ㌻)とあることがその裏づけとなろう。今日においても日蓮宗各派は日蓮が上行菩薩に当たるとする認識ではほぼ一致している。
もちろん日蓮は通常の御書において自身が上行菩薩に当たると明言することはなく、
「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」(諸法実相抄、御書 1359 ㌻)、「地涌の菩薩の出でさせ給うまでの口ずさみにあらあら申して」(本尊問答抄、同 374 ㌻)、「日蓮は此の上行菩薩の御使として」(寂日房御書、同 903 ㌻)等と、一貫して謙遜の表現に終始している。上行菩薩は釈迦仏から末法弘通の大権を授与された末法の教主であるから、自身が上行であると明言することは人々の疑惑を生じかねないので注意深く回避したのであろう。
問題は、日蓮宗各派が「日蓮=上行」との認識は持っているが、上行が釈迦仏から末法弘通の権限を与えられた、いわば「如来の使い」であるから、やはり仏教全体の教主(本仏)は釈迦仏で、上行は釈迦仏より下位に当たる菩薩に過ぎないとしていることである(日蓮宗各派による「日蓮大菩薩」の呼称もその認識による)。宮田氏も同様の見解に立っているようで、漆畑正善論文「創価大学教授・宮田幸一の『日有の教学思想の諸問題』を破折せよ」に反論した論文の中で宮田氏は「末法の主師親としての日蓮は、あくまでも仏道全体の主師親である久遠実成仏から、末法の衆生救済という権限を与えられたと日蓮自身も認めていると私は理解している」と述べている。

もちろん、経典の文字の上では地涌の菩薩は久遠実成の釈迦仏から教化されてきた弟子であり、地涌の上首である上行菩薩は釈迦仏から末法における仏法弘通の使命を託され、その権限を与えられた存在として説かれている。日蓮自身も先に引いた「頼基陳状」をはじめ、経典上の内容を尊重することを基本とした。しかし、地涌の菩薩の本質は経典の表面的な教相だけで把握できない面がある。そのことを示すのが地涌の菩薩を登場させた涌出品の内容である。
まず、地涌の菩薩は身体が金色で、三十二相を具え、無量の光を放っていると説かれる。眉間白毫相などの三十二相は仏や転輪聖王が具える徳相で、通常の菩薩が持つものではない。このことは地涌の菩薩が通常の菩薩の範疇を超えたものであることを示唆している。さらに驚くべきことは、地涌の菩薩が師匠である釈迦仏をも超える尊貴な姿を持っていると説かれることである。釈迦仏は、地涌の菩薩は自分が久遠の昔から教化してきた存在であると説くが、対告衆である弥勒菩薩をはじめとする会座の大衆はその仏の言葉を信ずることができない。釈迦仏はガヤ城の近くで成道してから四十余年過ぎただけなのに、どうしてこの短期間に六万恒河沙もの地涌の大菩薩を教化することができたのか、という疑問を抱いたからである。そして、釈迦仏が地涌の菩薩を教化したと説いたことも、譬えて言えば 25 歳の青年が 100 歳の老人を指して「この者は私の子供である」と言うようなもので、到底信ずることができないというのである。

菩薩とは本来、成仏を目指して修行に励む存在をいう。その菩薩が目標としている仏よりも既に偉大な姿を持っているという。また、地涌の菩薩は釈迦仏から教化されてきた弟子とされているのに、地涌の菩薩の方が師匠を超えた尊貴な相を具えているとされる。これは、通常の観念では理解できない「謎」という以外にない。この謎については、古来、ほとんど考察されておらず、謎のままで放置されてきた。日蓮宗の学者の中にはこの謎が解明できないので、後世に付加された部分であるとして、自分の理解が及ばない箇所を切り捨てようとする者すらある。しかし、「仏を超えた菩薩」「師匠以上の境涯の弟子」という、この不可解な謎にこそ地涌の菩薩の本質を示唆する鍵がある。
この点について、拙著『新法華経論』では次のように論じた。
「仏よりも尊高な菩薩、師よりも偉大な弟子――。これは何を意味しているのか。それはすなわち、地涌の菩薩は『菩薩』として登場しているが、その実体は菩薩の範疇を超えた存在、すなわち仏であることを暗示しているといえよう。
地涌の菩薩が娑婆世界の下方の虚空に住していたとされることも、彼らが生命の根底である第九識に立脚していること、すなわち仏の境涯にあることを象徴している。また、地涌の菩薩が仏の特徴である三十二相を具えるとされていることも、その本質が仏であることを示すものと解せられる。
すなわち、地涌の菩薩が菩薩として法華経の会座に登場するのはあくまでも外に現れた姿(外用)に過ぎず、その本質(内証)はすでに妙法を所持している仏である。 -後に続く-


レンタル掲示板
お知らせ · よくある質問(FAQ) · お問合せ窓口 · teacup.レンタル掲示板

© GMO Media, Inc.