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私の名前が出てきたので、久しぶりに書き込みます。
>けめこさん、はじめまして。
話の文脈がよくわかりませんが(以前私がジジェクの『イラク』に言及したコメントへの応答でしょうか)、私は「思考奪取と作為体験はアメリカによる陰謀だと思って」ないですよ。ただ、実際に(無意識的であれ計画的であれ)陰謀をめぐらし実行する個人や集団が存在する場合もあるとは思っています。日常的なレベルでも、他人の噂話や悪口を言うのは、「他人の評判」を操作しようとする小規模な「陰謀」といえるかもしれません。「Personal is political.」という言葉がありますが、そういう意味では日常生活も政治的な駆け引きの場なのでしょう。
しかし、思考奪取や作為体験というアイデアは、他人(の陰謀・策略)が自分(の思考・体験)に直接働きかけているということを想定しなければ成り立たない概念だと思います。そういう発想は、具体的で持続的な暴力や嫌がらせに対する解釈や防衛反応として出てくるものではないでしょうか。ただ、それはあくまで持続的な「被害体験」の解釈に留まっていて、結果的にはむしろ「加害者の力」を神秘化してしまう発想ではないかと思います。私は(自分が発言し表現しなければ)自分の思考を他人から奪取されることはないし、(相手に屈服しなければ)自分の体験を作為されることもない。それが「自由」ということです。加害者がどんな陰謀をめぐらせたところで、私がそれを拒絶し反撃することができる限りで、私の「自由」が侵されることはない。
そもそも他人とふつうにコミュニケーションをとり協力や信頼を得ることができる人は、陰謀をめぐらす必要もない。陰謀とは、それができない無力で弱い連中の虚勢であり悪あがきではないでしょうか。だから問題は、「どういう人が的になる」のかではなくて、「どういう人が馬鹿な陰謀をめぐらすか」ということではないかと思います。どうかそういう人間は、他人に迷惑をかけることなく、自分で自分の墓穴を掘ってほしいと思います(実際、私が知っている性悪の人間は―他人に迷惑をかけつつ―大体そういう末路をたどる)。なんかヘンな話ですみません。
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