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すみません、柳瀬さんと松井さんへのレスを張り間違えてしまいました。
2つ ↓ のカキコで >柳瀬さん となっているのは >松井さん あてのレスです。
>柳瀬さん へのレスは、次のとおり。
>柳瀬さん
フライングとおっしゃいますね。少し長いカキコになったのは、掲示板の特徴上よくなかったかもしれません。
けれど、その他についてはそれほどフライングだと考えません。フリーターとひきこもりはムリヤリ抱きあわせにして論じられがちです。税とか保険料徴収に関する悪者づくりをやりたい勢力と、「心」を直すマーケットを拡張したい人々とか利害の一致を見出し協力しているのです。
今海外にいらっしゃるとのことですね。そこはアングロサクソン圏ですか?
日本では先生や先輩のやったことを否定するのは、北朝鮮をのぞく海外と比べれば大変難しいのです。だから、斉藤環の出身大学・出身医局、それに対抗派閥の動向を知ることは、知識が生み出される背景を明らかにするためにどうしても必要なことだと判断しています。
このことは、知識社会学とか文化社会学では初歩の初歩です。(自分は独学で少しかじりました。)
それから、 >杉田さん
たくさん書いてくださってありがとう。
だけど、ちょっとオヤジの説教風というのか(笑)、かなーり違和感があるんですよね。
数年以内前だったか、「現代思想」に翻訳が載っていたフランスの社会運動論の紹介に
「社会運動のリーダーは、代表する集団よりもやや階層が高いか、その集団の中では地位が高い」「厳密な意味では当事者ではない。しかし当事者であるようなそぶりをすることができるものが社会運動のリーダーになる傾向がある」といった内容の研究報告がありました。
ぶっちゃた話、杉田さんもそのパターンですよね。フリーターではないのにそれに近い形態で働いているそうで、「フリーターに関する定義はフリーター本人によってなされなければならない」と勝手に代弁しちゃっている。それが反面は押し付けがましくウザく感じられます。
しかし一方、実際にはそうする方がいいのだろうな、そんなものかな、という気もします。大方のフリーターには経済的にも文化的にも余裕がないんです。だから、自分たちが何かについて論じることは難しいからです。
確か、現代思想のバックナンバーのどこかにあったのですが、フランスの失業者運動も、実際には就業者が失業者のための組織を運営しているというインタビューもありました。実際にはそうやって進めていったほうが無難だと思います。
ただし、わたしもいろんな当事者の社会運動にかかわった経験から言うのですが、もしリーダーが当事者のフリを装う演技力が低くなったり、そのための熱心さや集中力を失った場合、リーダーのことを本当に「○△だ」(たとえばフリーターだ、とか)と思っていた幻想人と、醒めていながらも「あの人は本当はエリートだか準エリートだ。なのにあえて自分たちのフリをしてくれている。こんなに上手に演技するというのは何かものすごくスゴイ情熱とか動機とかがあるのだろう。だったら、ちょっとヘンでも彼(女)のしきりに沿ってついてゆこう」と判断している冷静組ともに、リーダーを見放すでしょう。
そのへんのところを注意して、うまいことフリーター本人を演じてください。
それから、やはり「まず連帯ありき」というのは結論を急ぎすぎです。現状を見るに、正社員・アルバイト等雇用形態を問わず一致協力しなければ、ということは分かります。だからといって、本人たちの自覚や自主性を無視したのでは、かえって相手の言葉や意欲をそいでしまいます。
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