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現代におけるみなで同じことをやらせるムリさは、今はそういう社会になっていないとする批判が、未来学者・トフラーの「第三の波」にあります。IT革命後の世界では、労働や生活が多様化する。たとえばテレビをヴィデオにとって見る。ひとりひとりまったく違った労働時間に働くといった具合です。トフラーはポスト・フォーデイズム世界をたいへん楽観的に描いているのですが、みながいっせいに同じことをやらされる苦痛からの解放は大切なことではないでしょうか?
それから、いじめのフィールドワークを行った内藤朝雄のサイトをご覧ください。とりわけ、山形のマット殺人事件の記事は、家や学校で過度に「共通の課題をもって共に行動」することを強制する危なさについてよく語っていると思います。みなが同じときに同じことを強制すると、ささいな違いに神経質になり、被害者意識でいっぱいになっておおげさに騒ぎ立てる人間が続出します。内藤によれば、万能感を壊された人間の幼稚なわがままです。しかも、そのことは、保身や出世と密接にからんでいるのです。
そのなかで、カソリックの教義のミットベルト(社会内的存在)を神聖視し、ウンベルト(社会的な評価や価値に関わらない、すべてのものの持つ独自性)を罪悪視する人間がつくられます。つまり、人権感覚のかけらもない人間ができあがるのです。そして、同じ行動をとる者どうしの人情のために、誰かを犠牲にして平然としているわけです。
そんなものにはとても賛同できません。(ただし、わたしはリバタニアリストではなくリベラリストです。福祉のために税を取るのは財産権侵害だとする立場とは距離をおいています。)
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